だって好きなんだもん

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ここでは私の大好きな事について、自分の思いを語ったり、時々想像した物語を書いてます。

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映画hisについて思うこと

恋愛の映画であり、気付きの映画であると思っているhisですが、色々な感想やレビューを読んで私なりの考えに至ったので、記録したいと思います。

自給自足と言いながら貯金を切り崩していく迅の生活は、貯金が無くなった時に死を選ぶ可能性を秘めた危ういものだ。
ゆるゆると死へ向かっていく毎日の中で何か、誰かに心を動かされなければ、希望が見いだせなければ、この世に迅を留めて置けるものは何ひとつない。
無気力で無関心な生気のない目をした迅。
生活する事に無関心なのだから小さな家庭菜園以上に働くこと、収入を得ることに必要性を感じていない。
趣味の読書も今はただページを開いているだけ。読み解かれていない文字はずっと同じ場所で止まっているのかもしれない。
それでも本を携えて移動する迅は自分の中に生きる希望を見出だしたいのだ。

迅の前に現れる渚も社会とは距離を置き働くこと、収入を得ることから逃げてきた引きこもりだ。
大切な人を手離してまで普通の男(女性を愛せる男)でありたいと望みながら普通ではいられない自分自身に絶望し、死んでしまいたい思いを抱えながらも娘の存在を支えに生きている。
離婚して、親権を話し合うことになってはじめて渚は娘を失うかもしれないと自覚したのではないか。
娘を失わない為に仕事を探す、住む場所を探すという現実的な行動が起こせる程渚は自立していない。娘を奪われたら自分には何も残らないという怖れが迅に逢いたい気持ちを突き動かし、後先考えずに娘を連れて迅を訪ねたのだろう。

渚が現れた瞬間から迅は無気力無関心ではいられなくなる。渚の存在に感情は絶えず揺さぶられ、渚の娘の留守番相手をしたり、町の行事に参加したりするなかでたくさんの人とふれあい
、やがて渚とその娘と共に生きていきたいと願うようになる。
渚も自分を取り巻く環境に向き合い受け止めようとする中で社会との距離が縮まり自立していく。

私はhisは死にたい程居場所が見つけられない社会で生きていく選択をする二人の青年が、その社会でどう生きていくのかを模索する物語だと感じた。
そうとらえると共に生きていく為に背を向けていた社会に向き合った迅と渚のありのままを受け入れてくれる白川町の人々があれ程までに優しい事にも納得がいく。
共に生きていく選択をした迅と渚が次に抱える問題は差別や偏見との戦いではなくどう生きていくのかだ。
30歳にして職歴、おそらく運転免許もない渚の現実的な就職難を描くことよりも就職した渚の生きる意欲の変化を描き、同性愛と告白した迅の足元を崩すよりも、三人で生きていくための覚悟を決める迅の背中を押すことを描く為には白川町の優しさが必要不可欠だったと私は推測する。

どう生きていくのか。
それは映画を観た全ての人にとっても大切なテーマだ。

私が、世界中の人々が選択していく生き方の先にhisで描かれた白川町のような世界が作られますように。
そう願った気持ちを大切に生きていきたいと思う。



さて
迅と渚がこの先をどう生きていくのか?それは映画を観た私たちに委ねられました。

私は迅が積極的に自給自足生活を送るために
①将来的に道の駅等に野菜を卸せるように広い畑を借りる
②自給自足生活は将来の夢にして再就職する
等の選択肢を考え、実行するのではないかと想像している。

今も白川町で暮らしているような気がしてならない迅と渚がどう生きていくのか、私はまだまだ考えずにいられません。

こんなに心に響く映画についてつたないながらも文章に出来たことも含めてhisは大切な映画になりました。