まんまるのまんまの自分で/内藤利幸のブログ -2ページ目

まんまるのまんまの自分で/内藤利幸のブログ

気づいたらそのまんまの自分でいいじゃんと思えた。そんな状態になるまでの記憶や体験、そんな状態になってからの気づきや体験談の記録







自分を正当化しない


















こうあるべき






と主張しない。





アレは


正しい





コレが


正しい






こうすることが


正しい







僕も以前は、
正しい行動をずっと主張して、
自分を正当化して
周りを不当化して、



その結果



軋轢を生み
生き辛さを作りあげてきた。




そして、







さんざん生き辛さを体験して








わかった。




















正しさを主張する必要なんてない



















そして自分がみんなと
どうしたいのか
問いかければいい。






自分の場合は
みんなと
快適な関係でいたい
だけだった。








誰もの行動が
その人が必要だ
と思ってした
愛から生まれた行動。

それが一般の倫理観に
そむいていたとしても
間違っていると
裁ける権利なんて
誰にも


ない










そして
そもそも
そんな正しさを主張していた
自分の行動も
愛から生まれた行動。

その時に抱えていた
こうあるべきという価値観を
そんな価値観を持っている自分を
守るために無意識がさせた
愛の行動。



正当化する癖が不要になったら
ありがとうと
感謝して
もう大丈夫だよと
伝えて
体験を終了させて
次の快適ゾーンの体験を始めよう。




行動が快適か自分に尋ねよう。





ただそれだけのことだった。


{7BA3686D-F0C7-4895-A372-D80D46264156}




ここ数ヶ月ずっと

ゼロについて

考えてる。










ゼロ













0













自分の解釈では


ゼロは




ポジティブでもあり
ネガティヴでもある


プラスでもあり
マイナスでもある


有りでもあり
無しでもある


光でもあり
闇でもある


有限、無限を含んだ
すべての状態


調和
統合



だから0は
数に入らない。


数えられない。


僕らの存在は、0そのもの








例えば

木がそこにあることで

邪魔になることもあれば=マイナス
役に立つこともある=プラス

でも成長しなきゃ
役にたたなきゃ
邪魔にならないようにしなきゃ

と木は思っていない。








非日常的な喜びを求める
非日常的な悲しみに浸る





どちらもゼロから
離れすぎるから

ひずみが生まれ
居心地が悪くなる。








ゼロでもいいし
ゼロじゃなくてもいい

駄目など存在しないから








その時の自分の
居心地で選んでいい







いつか出るであろう
求めた答えに


つづく

{EC62BC39-6EBE-4846-9143-2221574206FC}




さっきサッカーの記事を

たまたま目にした。



そこには、こんなことが書いてあった。





「代表に呼ばれたら、

いつでも出られる状態でいる。

監督は、わざと厳しいことも言う。

それは現状に甘んじないように

成長を促す機会を与えてくれている

と感じている。」





監督に信頼されている自分なんだ

まだまだ成長できる自分なんだと

自分が自分を信頼している

からこそ出てくる言葉。




信頼は、誰かに貰うものではなくて

やはりまずは、

自分が自分に与えるものだな。





信頼しているよ