リスクの意味を理解する人たち | マニンゲンメンバーのブログ

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なすすべなき劇団「マニンゲンプロジェクト」のマニンゲンメンバーが綴るブログです

先日、古い友人が主演をする舞台を観に行った。彼はRUDEBONESというバンドのヴォーカルで楽曲も手掛けている。彼の周囲に対する牽引力は中々のもので、とにかく物事を前へ進めるという点に於いて、物凄いバイタリティを持った人であることは間違いない。

10年以上振りの再会なので初めは一人で行こうと思ったのだが、何しろ劇団だ、きっとノルマがあるに違いないと思い、なるべく多くで行った方が良いか? と打診したところ、そうだと助かる、と返事があった。なので他にも声をかけたが、後になって聞けば彼にはノルマがなかったらしい。

さすがだな・・・と思った。

僕の劇団は旗揚げから一貫してノルマなしのスタイルでやっているけれども、それに甘えるだけ甘える人というのも中にはいた。呼べる人がいても「もっとでかい所でやるようになったら呼ぶ」と平然と言ってのけたり、呼べたのは2人だけでした、とシレっとした顔で言ったり。

僕は僕の考えでリスクは作演の自分が負うべきという信念のもとやっていたので、他の誰がどうだろうと、その信念を貫けばとりあえずは間違いではないんだと自分に言い聞かせ、決して安くはない金を公演の度に失い続けたが、やっぱりそういうリスクが自分にない意味を理解していない人というのは、どこかずるいところがあるんだと僕は思う。そういう人に限って妙に役者としてのプライドみたいなものにこだわりがあるかのようなことを言う。だったら・・・と何度も思ったが、どうも劇団を始めた頃の、役者なんて一人もいないで、右も左も分からなかった頃の体質が抜けきらず、役者を失う恐怖症みたいなものがあって、結構言いたいことをストレートに言うことが出来ない、という時期があった。今でもそういうところはきっとあると思う。

先の彼(名を大川という)は、バンドを自分で結成し、メジャーデビューさせ、もうかれこれ15~20年近くその地位を守り続けているだけあり、そういうリスクというのが自分にあるなしに拘わらず、自分がどういう姿勢で向き合わなければならないのかを他の誰よりも理解しているのだと思う。

岸本が一押しのクレーターというバンドのドラムの方も話をすると、ちょっと他の人とは違った、そういう何かを感じる。舞台を観てもただ漫然とした感想はあまり言わない。なぜああいう舞台、物語を選ぶのか、なぜああいうセリフを言わせたのかを普通に聞いてきたりする。と同時に、なぜノルマなしなのか、どれくらいの金が消えるのか、結構ストレートに聞かれたこともある。彼もそういうリスクが何を意味するのかを知っている人なんだと思う。

何もそういうリスクを負ったり、理解しているからそれで偉いという話ではない。

そういう人は向き合い方が違う、と僕は思う。

世の中「〇〇だけど、別に〇〇しなくても、まぁ何とかなる」という〇〇で結構溢れている。

下世話な話ばかりで済まないけれども、友人から金を借りたって、まぁ別にそんなに慌てて返さなくてもまだ大丈夫と、返せる金があるのに先延ばしにした経験はないだろうか?

僕はある。

そういうことをしていれば、友人の自分に対する見方が変わってしまっても、文句は言えない。そしてそれは金で買い戻すことは出来ない。

明日提出のレポートを仕上げなければならないが、実際はもうちょっと待ってくれるだろう。

別にいつまでにという期日も強制力もないものは放置しがちになったり。

劇団だったらセリフを覚えなければならないところを、まだ許されると高をくくって覚えなかったり。

例を挙げれば幾らでもある。


結局そういうところでずるく甘える人というのはどこまでも甘えるんだと思う。







別に反省しろとか、言い訳しろとか、そんな話じゃない。自分だって欠点だらけだし、ノルマないくらいでここまで言えた義理もない。



ちょっと思うところがあって書きました。



ノルマなしは、責任がないと同義ではないってことだと思う。


そういう根本的なところで甘える人っていうのは、何をやってもダメなんだと、僕は思うのです。



さようなら。