内幸町の名前の由来が
幸橋御門の内側の意味
ということは
前に書きました
現在の内幸町1丁目1番のエリアは
昭和13年(1938)までは
内山下町という名前だったようです
おそらく
山下御門の内側という
意味ではないかと思われます
その1丁目1番のエリア
安政3年(1856)の古地図には
三つの大名屋敷が
記されているので
一つ一つ調べていくことにします
まずは南東部
幸橋御門前の広小路に面した屋敷
■肥前小城藩(佐賀)
鍋島加賀守直亮
七万三千二百五十石余
鍋島藩は
日比谷公園散歩に出てきた
鍋島直正の佐賀藩が宗家で
その他に
鍋島御三家と呼ばれる
三つの支藩
小城(おぎ)藩
蓮池(はすのいけ)藩
鹿島(かしま)藩が
あったとのことです
鍋島直亮(1829~64)は
小城藩10代藩主
直亮には男児がなく
宗藩である佐賀藩主・直正の7男
直虎が婿養子に入り
小城藩11代(最後の)藩主となって
明治維新を迎えています
現在、この場所には
東京電力があります
渦中の会社だけに
警察官はじめ守衛が多数
ビルの周りを取り囲んでいます
Wikipediaには
「帝国五二会館、
南満州鉄道東京支店等を経て、
関東大震災後
立憲政友会本部となった。
戦後東京電力本社となる」
と書かれていました
調べたことを書き並べていきます
●帝国五二会館
帝国五二会館は
明治31年(1898)に建てられ
明治40年(1907)火災で焼失しています
帝国五二会とは
農商務省次官だった前田正名が
明治27年(1894)企画した
共進会という展示品評会が
そもそものはじまりで
織物、陶磁器、漆器、金属器、製紙の
五品目を扱う五品会だったものが
のちに雑貨、敷物の二業種が加わって
五二会と改名したとのことです
●南満州鉄道東京支店(?)
南満州鉄道とは
日露戦争後の明治39年(1906)設立され
敗戦時(1945)まで満州国に存在しました
が、東京支店を検索してみると
港区麻布狸穴にあったとの文章が多く
上記Wikipediaの記述は疑問です
大正時代の満鉄は
立憲政友会の幹部が送り込まれ
政党の利権の対象となったそうなので
次の政友会本部にはつながりますね
●立憲政友会本部
立憲政友会は戦前の帝国議会における
日本最初の政党政治を行った政党です
内幸町(旧内山下町)にあった
立憲政友会本部
(画像はWikipediaから借用)
J・H・モーガン設計のこの建物は
大正12年(1923)8月竣工ですから
関東大震災後ではなく直前ですね
昭和7年(1932)515事件の時は
この政友会本部も襲撃対象となり
手榴弾が投げ込まれたようですが
不発だったとのことです
そして現在…
●東京電力本店ビル
・千代田区内幸町1-1-3
高さ200mの大きな鉄塔が目立ちます
現在のビルは
昭和47年(1972)竣工とのことです
東電の西隣には
みずほ銀行ビル
かつて江戸時代には
薩摩藩邸があった場所
そのブログを書くまで
またしばらく時間をいただきますが、
お詫びと訂正があります
以前
薩摩藩上屋敷が
内幸町にあった
と書いてしまいましたが、
これは間違いです!!
薩摩藩上屋敷は三田
現在の住所で港区芝にありました
ごめんなさい m(__)m 失礼いたしました