ガンになって思うことなど | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

 がんを告知されてすぐの頃、『がんは人生を二度生きられる』(長尾和宏・青春出版社)という本を読みました。

 医者の中には「死ぬ時はがんがいい」と言う人がよくいるようだが、今ではその気持ちがよく分かる。「『がんになったら終わり』ではありません。『新たな人生の幕開け』なのです」と、この本にもある。

 一度は「死ぬかもしれない」と考えたわけなので、その時点から確実に「二度目の人生」を意識せざるを得ないわけです。つまりおれは今、二度目の人生を生きていることになる。

 かと言って、おれの生活態度が劇的に改善されるわけでもないし、周りの人に対して急に優しく接するようになるわけでもありません。あくまでも自分の意識の中での話なので、傍から見ると特に何も変わっていないと思う。申し訳ない。

 

 今回の自分のがんは、たまたま別の目的で検査を受けたことによって早期発見されたのである。そして、紹介された病院が家から比較的近くて、そこには十二指腸の専門医がいて、現時点でそれほど普及していない手術方法がその病院ではできる環境だった。

 言ってしまえば、実に偶然と運とに助けられたと思っている。

 「運も実力のうち」という言葉もあったりするので、この「偶然と運」はありがたく受け取っておく所存です。

 

 入院前には、この春に刊行されたばかりの『ガン入院オロオロ日記』(東海林さだお・文藝春秋)も読んだ。ただ、十数編収録されているエッセイのうち「ガン入院」に関するものが三編だけだったのが物足りない。もっと詳しく書いてくれればよかったと思うぞ。

 この本の中で一番役に立ったのは、「イルリガートル台」という名称を教えてもらったことでした。