小谷野敦『頭の悪い日本語』(新潮新書)に、「自動詞と他動詞との複合は正しくない」という説はおかしい、とする論が出ている。以下に引用する。
●(「立ち上げる」は)日本語としておかしい、間違っていると言われていた語である。だが、間違っている理由づけが、たいてい間違っていた。自動詞と他動詞の複合動詞だから間違いだというのだが、それはおかしいので、「引き上げる」だってそうである。「立ち上げる」に違和感を覚えるのは、「立つ」の主語がパソコンで、「上げる」の主語が使う人間だという、主語のずれにあるのだ。
一見なるほどと思ってしまいそうな説である。しかしこの小谷野氏の論拠にも疑問があるので、考察してみたい。
その前に、自動詞と他動詞との複合動詞が他にもある例として「引き上げる」を持ってきている点について、一言書いておきたい。
「上げる」は他動詞だから、つまり小谷野氏は「引く」を自動詞だと思っていることになる。しかし学校文法では、前回触れたように「~を」で目的語を取るのが他動詞だと定義している。これによれば、「綱を引く」「くじを引く」など「引く」には一般に「~を」の形で目的語が付くので、他動詞だということになる。従って学校文法に従うなら「引き上げる」はこの場合の例として適していない。
学校文法に従わないとしても、「引く」を自動詞だとする根拠は分からない。「引く」にはペアの動詞がないので、自他どちらでもないただの「動詞」だと考えた方がよいだろう。
さて、「主語のずれ」が理由だという小谷野説を検討しよう。次の例を見てほしい。
○(パンを)焼き上げる
○(パンが)焼き上がる
どちらも使われる言葉だと思う。前者は「焼く」のも「上げる」のも人間だが、後者はどうか。「焼く」のは人間で、「上がる」のはパンだ。つまりこの言葉も「主語のずれ」があるのである。「主語」を揃えようとするなら「(パンが)焼け上がる」と言わなければならないが、普通そんな言い方はしない。「(米を)炊き上げる」「(米が)炊き上がる」でも全く同様だ。「(株価が)下げ止まる」で考えても同じことが言える。
よって、「立ち上げる」の違和感の理由を「主語のずれ」に求めることには説得力がないと言わざるを得ない。
この項つづく(次回いよいよ最終回)。