さらに続きです。

 

その1

 

その2

 

 

 

 

 

 

では、何が信じられるか。

 

それは自分自身の体験から直接知ることです。

 

けれども、それも前述のように概念観念にしてしまえば、同じことですから

 

つねに今、必ず今ここから知ることだけが真実ということなのです。

 

体験を掴んだ瞬間に、もうそれは真実とは遠くなりますから

 

常に忘れることの方が、より真実に近づけるでしょう。

 

真実とはひとつではありません。

 

つねにフレッシュな生鮮食品みたいなものです。

 

炎天下では瞬時にくさるかも知れないことなのです。

 

実際、今ここに生きるとは

 

過ぎ去ったことをどんどん忘れることに違いないのです。

 

掴むとは、過去に起こったことを何度も脳裏に上げて反芻することですから

 

それをしなくなると、忘れることが日常茶飯事になってくるのです。

 

 

 

 

mananaも過去、このブログで色んなことを言っていますが

 

ほんとうに引きずることが少なくなりました。

 

これはこうである、これこれで間違いない、的なことを言っていれば

 

それは必ず掴んでしまっていることで

 

それもただ観照していくのみだから

 

なので、最終的には何も残らなくて当たり前なのです。

 

私たちの無限の可能性ということは

 

決して個人のことを言っているのではなく

 

私という広大無辺な全体性、という意味のことですし

 

ここで「私」という一人称を使ってはいても

 

実際に全体性には、私と言えるような存在感覚さえないのです。

 

 

 

 

個人を超えた向こう側のことを

 

いろんな人がいろんな言葉にして語っていますが

 

それぞれの体験から持ち帰った、そのときの視点の違いだけでしかないことなので

 

どちらが正しいとか、間違っているとかもありません。

 

そういう視点から観るとき

 

覚醒した、悟ったという言葉は、ほんとうに意味を失います。

 

悟った人はいなかったという、言葉遊びのような話でなくても

 

どこまでも境目のない平原が、地平のかなたまで続くように

 

県境とか国境とかが目に見える境目ではないように

 

これとそれの違い、わたしとあなたの違い

 

そういうものが溶けてなくなっていくのですから。

 

もう、地上のことではなくなっているような感覚さえあります。

 

「シフト」という言葉も腑に落ちる気がしますね。

 

 

 

 

 

 

 

個人を超えるというテーマで、3日に渡って書いてきました。

 

これも書くそばから忘れるので、残りません ( ´艸`)

 

読んでくださった方、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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