はまちゃんのブログ

 一昨年の春(2010年)、東京深川から真鶴駅近くに会社を移転しました。世界でここ真鶴でしか採掘されない本小松石を使用して【がんこ干し】という干物を作る小さな会社です。日々思うことを徒然に書こうと思っています。


テーマ:

写真展トークショーから学んだこと
     ~治るという信念が病を治す~



先月末から今月26日まで、町立湯河原美術館で

第10回現代作家展
     麻賀進写真展 
         ーそれぞれの木立・時の追憶ー

が開催されている。

昨日午後1時から、麻賀先生のトークショーが開催された。
展示された、写真、撮影秘話など話された。

麻賀先生は、3年前に大病を患い、写真家としてカメラを持つことを諦めた時期もあったとか。ところが、ここ、真鶴・湯河原・熱海の美しい風景に触れ、カメラを持つようになった仰しゃる。

2年前の11月、麻賀先生とは、ひょんなことからお付き合いが始まった。その頃、先生は、病後の後遺症で、足が不自由だった。ボクも、頚椎の怪我で、右手が不自由、箸を持つこともままならない。まして、カメラ持つなどもってのほか。写真を撮るなど諦めていた。

そんな2人が、今度写真を撮ろうということになり、12月暮れ、まだ、日が昇らない5時過ぎから、真鶴半島の駐車場へ車を止め、カメラバックを背負い、三脚を手に持ち、暗い階段を一歩一歩歩き、海岸の撮影ポイントへ行き撮影をした。
番場浦海岸は、砂浜ではない。大きな石や小さな砂利のような石で足場が悪い。健常者でも、暗い時間に歩くのは辛い。そこを転ばないよに歩くのは難しい。先生と2人どうしても転んでしまう。

転んでは、立ち上がり、少しづつ進む。
三脚を立て、カメラをセットし、日の出を待つ。
汗ばんだ体が急に冷え込む。
まだ、日の出には20分ほど早い。そうしたらどうだろう。まだ、日は上がらないのに、水平線の彼方に浮かんでいる雲がオレンジ色に輝きだす。なんと美しい情景か。シャツターを切るのも忘れ酔いしれてしまう。
わずか数分のショーだ。水平線にまた、幕が閉まり、薄暗くなる。
夜明け前だ。
それからしばらくして、日が昇る。あぁ~なんという感動か。

先生との撮影は、年を明けても続いた。
撮影スポットへ行くのに、何回か転んでは立ち上がり、カメラをセットし、シャツターを切る。
その先生の姿を見ていると、ある意味神がかりのようだった。

先生の話を聞きながら、撮影に行ったときのことを思い出してしまう。

このときの姿が、今の先生の写真展に繋がったんだろう。
話を聞きながら、目頭が熱くなる。

逆境に立っても、強い意志を持つことによって克服できる病気と闘い、絶対に治る。治してみせるという気持ちを持ち続けろことが大事。と教わった。

先生のトークショーは、
◎カメラの機能を把握して使うこと
◎撮影する被写体の無駄を省くという
ことを教えてくれた。
ボクは、それ以上に、
「信念をもっていれば病にも勝つ」
ということを教わった。

麻賀先生、ありがとうございます。 


17日午後1時から、トークショーがあります。
もし、病気で悩んでいる方、お悩みの方、会場に足を運んでください。
美しい情景で心癒され、トークショーで、生きる勇気をもらえます。










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朝9時前、小田急線小田原駅に着いた。Jrに乗り換えるため通路を歩きながら、ここで、モーニングでも食べようかと迷っていた。
そこへ、いきなり、「こんにちは、お元気そうで」と声を掛けられながら、握手を求められた。
えぇ、誰と思いながら、求められるまま、握り返す。
まぁ、なんと柔らかい手、女性のようだ、と。

握手を求めた相手の顔を拝見。
ハンチング帽のようなものを被り、髭を生やしている。顔全体が網膜に焼きつく。でも、顔よりも、握手をした手の柔らかい感触が女性の手と勘違いをし、誰か分からない。

ボクは、改札を出た後、モーニングでもと思い歩いていた。欲望は、お腹を満たすものを考えていて、いきなり声を掛けられても、思考がそちらにいかなかった。
この間、時間にして、数秒の出来事。
お腹を満たすことを我慢し、女性のような柔らい手の主をじっくり見ると、十二庵(ゆがわらの美味しいお豆腐屋さん)の浅沼さんだった。
十二庵さんのご主人を知らない人は、ほとんどいないだろう。
美味しいお豆腐を作り、お豆腐ドーナツも最高!

彼の手がこんなに柔らかいのは、やはり、お豆腐屋さんだからなのか。
干物屋のボクは、ごっい手だ。
職種によって手の硬さも変わるのかなぁ。

これから東京に行かれると言う。別れ際に浅沼さんが
「フェスブック面白い」
と。
ボクは、フェスブックには、自分の周りで起きたことを中心に書いている。だらだらと長い文章で、読みにくいなぁと思う。
短歌や俳句のように短い文書で書けたらどんなに良いだろうと思う。
5年前から、右手の痛みがあり、1000枚以上書いていた年賀状も辞めてしまった。手紙を書くこともままならない。
日記を書いていたがこれもおさらばした。
パソコンのキーボードを叩くこともままならない。

iPad が登場してから、これで書いている。
愛する人へ、愛する家族へ、友人へ、同僚へ。
ボクは、今日こうでしたと言った。手紙のような感じで書いている。
十二庵さん、「フェスブック面白い」
と言ってくれた一言は、嬉しかった。

感謝を込めて、今日のフェスブックは、浅沼さんが餌食。
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昨日は、ほぼ徹夜状態。
疲れも、持病の痛みもピーク。

11時過ぎに、事務所でダウン。
うつらうつらとしている時に、電話の鳴る音に気が付いた。知らぬ携帯番号が表示されている。
寝ぼけ声で電話に出ると、「はまさん、Aだけど覚えている」との声。

この声と名前ですぐに分かった。静岡のAさんだと。今、事務所の前にいるという。
急いで起き上がり外に出た。車の前にAさんが立っている。友人ご夫妻と、4人で静岡市からボクに会いに来たという。
Aさん電話して、分からないと言ったら帰ろうと思ったとおっしゃる。いゃあ、嬉しい。

Aさんとは、38年振りの再会だ。
当時、ボクは、23歳、Aさんは、ボクより2歳年上の25歳。
東京小平市喜平町にある、関東管区警察学校でだ。
ボクは、神奈川県警から、Aさんは、静岡県警から3ヶ月間の初級幹部課程に入校してきた。
ボクらは、クラスが一緒で、年が近かったことや、知識豊富なAさんが兄貴のように思え、親しく付き合うようになった。

卒業後、お互いに仕事が忙しくなり、会うことがなく、年賀状での挨拶が続いていた。

こんなこともあった。真鶴に住む義母にAさんの当時住んでいた静岡県細江町に真鶴のみかんを送ってもらった。後で義母から、真鶴は、細江町の三ケ日みかんから教わったんだと聞き、何か恥ずかしい思いをしたのを覚えている。

5年前、ボクが、湯河原に仕事場を構えた翌年、Aさんは、沼津警察署長を最後に退職した旨の挨拶状が届いた。
すぐ近くに居たんだ、近くに居て会えず、悔しい思いをしたのを覚えている。

Aさんの奥様、一緒に来たMご夫妻の3人は、最初ピンと来なかったかもしれない。Aさんとボクが話をしていくうちに男の友情に納得したらしい。

知り合いのTさんの所で飲んで、美味しい刺身をたらふく食べた後、風籟釜へご案内。風籟釜の井上先生に陶芸の話を聞き、ここの風景を堪能してもらった。

人間という生き物は、いやぁ、ボクという生き物は、ゲンキンな奴で、Aさんに会い、疲れも、痛みもどこかへ吹っ飛んでしまった。夏に、貴船祭りを見に来るとの約束をして、帰られた。
Aさんありがとう。
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