断層 | 学びをつくる会世話人リレーブログ

断層

 高千穂峡でちらっと疑問が頭を掠めた。眺めていたのは、圧倒的な柱状節理の両岸の壁とみごとな多くの甌穴だった。3ヶ月前に初めて見たときに圧倒された。今もその感覚はあるが、さすがにいくらか変わっていた。柱状節理の並びと変わり目のおもしろさへの賛嘆から疑問へという変化だったようだ。両岸は100mほど切り立った節理の壁が続く。立っている段は、幅が数十mのゆるく起伏した磨かれた段だ。その足元に大小の甌穴があちこちに掘られている。そしてさらにその足元の深い隙間の下に水面が光っている。5mほどに迫る壁の間の30mほどの深さが、一つだけある観光用の橋からのぞける。疑問は、初めのときにもあったようだが、水はなぜここを流れ削ったかということだった。そしてまた、水という柔軟な液体が、だが強い力で、これだけ深く鋭く掘り込むにはどれだけの時間がかかっているのだろう、何千年か何万年か、と思ったりした。
 4.26朝日朝刊の「シェールガス採掘地震誘発? 米中部M3超が急増」を読んで、敦賀原発直下の古断層が活断層になる可能性を保安院が24日に出したことと重なった(4.25朝日朝刊「敦賀原発直下活断層か」)。前者は廃水を地下に捨てたことが断層を動かして地震を誘発したらしいということで、後者は大きな断層が動くと近くの小さな動かないはずの断層が連動するということだ。そこで、断層とは何か、活断層とは何か、どういう断層がどこにどれだけあるのか、と考えざるを得ない。だが、答えは調べなくても明らかだろうと思った。そんなこと誰にも分からない、地球上隈なく、限りなく深く調べるなんてことありえない。科学というのは、当面わかっていることで組み立てているものだ。全地域どこでも、原発の下にも、必ず断層はあり、それがいつどう動くか分からないのだ。
 山を歩き旅をして来た中で、地面というものには眼を向けてきた。地層が露出したところでは足を止めてみてきた。一続きの地層は、一続きであって、必ず切れる。一続きに見える中でも変化しているところもある。1km以上続く高千穂峡の柱状節理の壁も、縦横斜め、あるいは曲がりくねって重なって続いている。溶岩が流れ冷えまた被さり合い圧し合いを繰り返したのだろう。だが、素人目にも断層と見えるところも多い。冷える途中も、固まってからも、振動が地震がひびを入らせ続けて来たのだろう。そもそも水が断層という軟らかい弱点を削って流れてこの峡谷を見せたのだろう。
 3.11直後は原発事故情報が津波を軸に流されたが、地震・揺れ・破壊にまとまってきているのは、衆知といえるのではなかろうか。