『坂道の途中』。 | 一寸笑閑話

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日常のなかの、考えや、思いつきを書き散らしています。

 おはようございます。

今日(1/13)も模試の付き添いで、いま、わたしは半蔵門に来ています。昼までコーヒー飲みながら、記事を書いています。
昨日は息子、今日はお姉ちゃんです。


いよいよ、お姉ちゃんの中学入試まで、あと1年となりました。
中学入試は『親子受験』と言われるだけあって、わが家みたいなお気楽娘は、生半可じゃできません…。

毎日が叱咤で、激励は ごくわずか(^_^;)
わたしは 毎日、発声練習に忙しいのです(苦笑)
昨日も深夜まで 算数をやっていました。

かくいう わたしも、中学受験を経験しています。
通ったのは、関東では名高い塾で、『四谷大塚進学教室』。
小学4年生の冬、父に連れられて入塾テストに行き、合格して通うことになりました。

なぜ わたしが中学受験をすることになったかと言えば、当時、地元の公立中学はたいへん荒れていたからでした。
飼育小屋のウサギが殺され、校庭の鉄棒に吊されていたり、
暴走族のチームが授業中にバイクで校庭を走りまわる。
校舎の至るところで喫煙が横行し、警察沙汰は日常茶飯事。
卒業式は『お礼まいり』なる大騒ぎ、長期休暇には校舎の窓ガラスが割られる…。
とにかく 制服を着ていると、高校見学も断られるほどの 最悪な環境でした。
そういう事情あってか、わたしの学年は、半数以上の生徒が中学受験をするという、小学校としても異例の事態でした。

小学5年になり、平日3日に加え、毎週日曜に朝9時からお弁当持参の特別ゼミに参加、今のわたしの娘と同じ生活でした。
わたしは 受験の何たるかも理解せず、周りが受験モードでしたから、疑問に思うことはありませんでした。
しかし、ほどなく、母が根をあげました。

塾の宿題や、塾の時間で夜12時すぎになるまで 寝られないようになったのです。
弟妹たちの生活時間がずれて、今も言う『規則正しい生活』から外れていきました。
これには、両親が閉口しました。
教育上よくないということで、わたしは半年通う前に、家庭教師へと変換されました。 聞けば、同級生たちは、深夜まで頑張っているという。

思えば、これが合否の明暗を分けたことだった、と思います。
わたしは 適当な勉強しか、しなかったのです。
賛否両論あるでしょうが、どだい、普通の近所の家庭教師じゃ、学校の補講にはなっても、わたしの目指した学校の受験には不向きでした。

わたしは 失敗するべくして 失敗するのですが、そんな経験測から、娘には 同じ思いをしてほしくなかった…。
わたしが 当時してほしかったサポートを、いま しているわけです。

受験は娘が決めたことですから、当時のわたしとは まったく違って、こなす課題の量は 数倍以上です。
…これだけ頑張れていたら、わたしの受験はどうだっただろうか、と自分を振り返ることがあります。



未だ『坂道の途中』、わたしから見ても、時間の使い方は どうあれ、娘は本当によく頑張っていると思います。
仏頂面で問題を解き、解けた瞬間の ほころんだ顔、また 解けずに 悔し泣きしながら解説を読む顔を 毎晩見ながら、あと1年を過ごします。
…主人は単身赴任で平日は一緒ではないので、文字通り、『二人三脚』です。

模試の会場に用意された待合室に座り、コーヒーを飲みながら、今日は そんなことを思うままに書いてみました。

あと40分ほどで、4教科の試験が終わります。
最終教科は 理科です。
娘の得意な教科ですが、お腹が空いたんじゃないかな。
朝、同じ時間に同じものを食べた わたしが、すでに ぐうぐう と鳴り出しました(笑)。
脳細胞を総動員させている娘は、もっとお腹が空いてるに違いありません。

ふだん外食ゼロな わが家、今日みたいな特別な外出でしか、食べて帰ることはありません。
素っ気ない模試に行ったあとのご褒美に、なにか食べて帰ります。

さあ、今日は何を食べて帰ろうか、お姉ちゃん?

(゚-゚)/