ままにの日記

ままにの日記

大好きな石けんのこと、うちのワンコとの生活、日々の暮らしをつれづれなるままに・・・

Amebaでブログを始めよう!
もっとそばにいてあげられたのに
もっと健康状態に気を配っていれば・・・
もう少しの間一緒に過ごせたのかもしれない
という思いと、
病気がちだったけれど、決して短命でもなく
謝謝は寿命、全うしたとも思うのです


6月29日 日曜日
朝。いつものように、フードとお水
そしてお菓子などを供えた
謝は少し眼を開けていて、まるで私を見つめ返しているようで
チューしたら、謝のくちびるは冷たくなってて
やっぱり謝、死んじゃったんだ・・・って

エアコンをかけ、アイスノンで身体を冷やしていたけれど
この時期なので、早めにお別れしなくてはならず
訪問火葬車を午前中に手配した
本当はもっと一緒にいてあげたっかったけれど

謝謝は大好きなチュー君(ねずみのおもちゃ)と
お花に囲まれてお空へ旅立った

千葉の父にも会えたかな?謝のパパとママにも。
だからきっと寂しくないよね

14年前、振り向いたペキちゃんと目が合った瞬間・・・
謝はあの時の事覚えているかな?
ママは忘れないよ

トイレもなかなか覚えられなかったけど
ある日突然出来るようになってからは
用を足した後全速で走って来ておなかをドーンて出して
早くフキフキしてーってしてたね
床に一筆書きが出来ちゃって
その度掃除したのが懐かしいよ
でもとってもいい子だったよ

謝との日々はかけがえのないものだった
思い出もたくさんできたよ

ありがとうね 謝謝
うちの子になってくれてありがとう
謝は可愛かったよ
ママとパパはずっと謝のママとパパだからね
いつかまた会おうね

それまで待っててね


ブログを始めたことで色々な方とお知り合いになれました
謝はお空へ行ってしまったけど、
ブログの中には元気だったころの謝が生きています
わたしは、始めてよかったな。と改めて思います

ご心配、励ましをいただいた方たちに感謝いたします
今まで見守っていただきまして
本当にありがとうございました








わたしの謝が逝ってしまった
ひと月たったんだ

もう、なのか。まだ、なのか。
時間はあの日で止まっているのに

なかなか文字に起こすことが出来ずにいました
でも一生懸命生きた、生ききった謝謝のこと
あたたかく見守っていただいた方々に
お知らせしなければ・・・と思います

取り留めもなく綴りますこと、お許しくださいね

謝は満身創痍で、最期まで頑張りました

春ごろから溶血性貧血に侵されていて
低たんぱくになって、食も以前に増して細くなっていた
体重も激減し、3㎏台になって全盛期の半分に
何とかして食べさせようと、ささ身やカボチャ
チーズ入りのおかゆ等 食べてくれるものを探した

でも一向に体重は増えずに、背中を撫でると
ゴツゴツ、まるで恐竜の背中のような背骨を感じる度に
謝とお別れする時が近づいていることに気づかされていた

6月28日土曜日
昨晩から何も食べず、謝が気に入ってくれるかなって
種子島の蜜芋を口元に入れてもペロペロせずそのままで
また以前もそうだった様に点滴してもらったら食欲出ると思って
明日は病院に連れて行こうと思っていた

土曜だけど仕事に出た私は、昼前にお財布を忘れていたことに気づいて
家に取りに戻り、昼食を済ませてからまた出掛けようと
玄関で靴を履こうと屈むと、リビングから
ギャン・・・と振り絞るような声がして

謝を抱き寄せて暫らくの間いい子いい子して
少し落ち居たので
ごめんね、謝。ママすぐ帰るから待っててねと
玄関で靴を履こうとすると、ギャン、ギャンと悲痛な叫びがして

わかったよ、ママいかないよ今日はもうお出かけしないね
どうしたんだろう…いつもの謝じゃない

抱き寄せた謝の息づかい、眼差し。
午後一番で病院に連れて行かなければ、と思った
ふと謝の足をみたら、黒いはずの肉球がまだらに白くなって

慌てて車に飛び乗り病院へ向かった
診察時間前だったけど、先生に状況を伝え
待合室で謝を抱っこしていたら、粘液交じりの下痢をした
その後始末をしながら、私のシャツの腕が少し濡れているのに
気づいた
見ると、謝の少し出ている舌が白い…

状況を把握した先生は
今日が最期になると思います、あと30分、もって1時間
ご主人を呼んで、と

点滴をしてもらって、元気になると思っていた
謝が死んじゃう
ごめんね謝
ママが気づいてあげられなかった
色々なことが頭を駆け巡って
ボロボロ涙が出て、人目もはばからずぐしゃぐしゃの顔で
夫に電話した

しばらくして先生に奥の部屋に通された
酸素マスクしてモニターに繋がれた謝が横たわっていた
隣には気管挿管の器具を手にする娘さん先生の姿も

挿管しても良くなるわけではないです
連れて帰ってあげますか?ときかれ

はい、ありがとうございました。連れて帰ります

私は何とか声を振り絞り

謝、お家に帰ろう・・・声をかけたとき

あ…。いま、息を引き取りましたと先生が仰った

モニターの波形が平坦になった

うそだ  謝の身体を軽く揺すって起こそうとしても

その時だけモニターの波形が山になった

涙がボロボロ溢れた


謝は私が来るまで待っていてくれたのね

日大でお世話になった娘さん先生も最期を看取ってくれた

「この子はお宅の状況をわかっていたんだと思いますよ」

実はちょうど1か月前、千葉の実家の父を見送ったばかりで
先生は私の父が危篤状態のときを同じくして
謝も命の残りが少ないと感じていたらしく
実家から戻っての謝の様子を伝えた夫の電話を
半信半疑で聞いていたそうだ

実際本当に久しぶりに謝謝はおもちゃで遊んだ
繰り返し飽きるまで遊んで、ごはんもパクパク食べたの
私は嬉しかった 元気になってきたと思っていた

きっと謝は自分の元気な姿を私の目や心に焼き付け
遺していってくれたんだろう

でもお別れの時がやって来ていること知っていたんだね
気づかなかったママとパパを許してね

私が聞いた謝の最後の声
ママ、行かないで ! そばにいて!だったんだね


先生が先に車で待機してる私の元に白いタオルに包まれた
謝を連れて来てくれた

暫らく車の中でワンワン声をあげて泣いた
先月の父の時とは違う悲しみが押し寄せて

家の駐車場に車を止めたところで、同じ棟に住む謝を可愛がってくれた友人が謝に会ってくれ、玄関まで付き添てくれたんだ

謝を大きなクッションに寝かせ、夫の帰りを待った
病院から花束が届いて謝の側にそっと置いたよ

暫らくして帰宅した夫は謝を抱き上げ、泣いた

その晩私はリビングに布団を敷き、謝のそばで床に就いた

夜中夫の話声で目が覚めた。泣いているようで
声をかけずに寝たふりをしたよ。



なんだか長くなってしまいました
思いをうまくまとめられないよ
今日はここまでに