『社説』


きょう「敬老の日」


多宝(たほう)の生き方は青年の希望


2年半前に生まれた和歌がある。

何もかも/はぎ取られたる/我なれど/ただ一つ残る/胸のともし火

詠(よ)み人(びと)は、岩手県に住む当時87歳の婦人。

東日本大震災の津波で沿岸(えんがん)の自宅が流され、何もかも失った。

信心55年、3度のがん手術を乗り越えながら「人を励ます生き方」を貫いてきた。

信心のおかげで幸せになれたとの実感がある。

未知の災害に遭ってなお、その生き方への確信は消えない「ともし火」だった。

本紙体験談の連載「多宝ここにあり」がスタートするきっかけとなった、多宝会の同志の話である。


※ “水の信心”に磨かれた心


内閣府の「高齢社会白書」平成25年版によれば、総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は24・1%。4人に1人は高齢者、という時代である。会社勤めの人なら、リタイア後をどう過ごすか。”幸齢(こうれい)社会”をつくる上で、一人一人の「円熟期の生き方」が問われる。

社会の高齢化が進むということは、青年が高齢世代に触れる機会も増える、ということだ。先輩たちの姿を見て後継の青年は育つ、ともいえるだろう。

年とともに「老獪(ろうかい)」になる人もいる。

ますます心を清新(せいしん)に輝かせる人もいる。多宝会(宝寿(ほうじゅ)会=東京、錦宝(きんぽう)会=関西)の友は、「どんな苦難も自分を強くするための試練」と、信心で一切を価値に変え、生命を清らかに磨き続けてきた。

そうした”水の信心”の姿が、混迷の時代を生きる後輩世代、また青年部や未来部にとって、大きな希望になることは間違いない。

多宝如来(にょらい)は、「法華経(ほけきょう)が説(と)かれる所に出現し、法華経が真実であることを証明する」と誓った。

釈尊(しゃくそん)が霊鷲山(りょうじゅせん)で法華経を説いた時、誓った通りに現(あらわ)れて、「皆是(こ)れ真実なり」と証明した。


※ 体験と確信で妙法を証明


池田名誉会長は多宝の友に、「その体験をもとに、その確信をもとに、妙法の証明者、学会の正義の証明者として、『皆、これ真実なり』と証明していっていただきたい」と語っている。

 災害に/打ちのめされた/我なれど/立ち上(あが)りよろめき/又(また)立ち上(あ)がる

冒頭(ぼうとう)に紹介した婦人の和歌は、まだ紙もない避難先で、ティッシュペーパーの箱で作った短冊にしたためられていた。

きょうは「敬老の日」。人生の山坂を越えて幸福境涯(きょうがい)を築く先輩方の信仰勝利の体験に学び、希望と勇気の前進を開始したい。


    =2013年9月16日・聖教新聞より転載=