まだまだある入院生活の話。

だんだん忘れかけてきているので、忘れないうちに書きます。




10月1日


手術日だったはずが、結局延期で抗生剤とアイシングにて炎症を抑える治療に専念する。

熱は、37.5以下にまで下がり始める。


主治医から、次の手術日を11日か12日で予約したと教えてもらう。

調整が3日に行われるのでそれまで確定できないらしい。

とりあえず、どちらでもいいので手術日が早く決まることを願う。




10月4日


主治医が朝から病室に手術日を伝えに来てくれた。

11日に決まったという。

後は、11日までに胸の炎症を少しでも直して、万全な体制で手術ができるようにしなくてはいけない。

まだまだ朝夜の抗生剤の点滴は、続きそう。

胸の炎症は、まだひどいが、少し赤みが引いてくる。



これ以降は、手術日前日まで朝夜の抗生剤の点滴、手術日前日まで胸のアイシング治療のみで過ごす。




10月5日


秋休み中のりくが、一人で電車に乗り、病院までお見間に来てくれた。

通知表を持ってきてくれて、とりあえず拝見。

国語と体育以外は、意外と良い成績。

国語と体育も普通ぐらいの成績。

とりあえず、褒めすぎてもつけあがるので、ほどほどに褒めておく。


同じ病室の方々から、色々とお菓子を頂いてニコニコ顔のりく。

一人で電車に乗ってきたので疲れたのか、夕方頃私のベットでお昼寝。

18時30分頃、オットが迎えにきてくれる。

少し3人で話して、19時ごろオットとりく帰宅。


りくが、3人で話していたときに

「こうやって3人で話すの久々だよね」と言っていた。

確かに3人で話すことはあっても、3人だけで話すのは超久々だ。

大体いつも誰かしら(うみやそら)一緒にいる状態のことが多かった。

りく的には、きっとパパとママを独占できた感じで嬉しかったのかも。





10月6~7日


外泊許可がおりたので、1拍で外泊をする。

まだ10日ぐらいしか入院していないのに、凄く久々のような気がした。



10月8日


2回目の低残食がはじまる。

1回目は、凄く寂しさと侘しさがあったけれど

2回目は、また熱がでてこないだろうかと不安が募る。



10月9日


完全絶食が始まる。

またお茶とスポーツ飲料のみになる。

熱が出ないかと不安になりつつ、なんとか熱も出ずに過ごす。

この日からまた栄養剤の点滴が始まる。



10月10日


絶食2日目。

何事も無く、あすの手術を迎えられそうだと安心した矢先

夕方頃から熱が少し上がり始める。

その頃丁度、様子を見に来てくれた主治医にそのことを伝える。

37.5分ぐらいだったので、あすの手術は行うと主治医から言われる。

それで人安心したのか、解熱剤が効いたのか

そんなに上がらずにすんだ。




10月11日



延期になっていた手術をようやく受けられるように。

前の日にあった熱も、平熱に下がり

心も体も準備万端に整った。

8時30分には、オットと母も病院に来てくれた。

オットと母は、今回ICUの控え室で手術が終わるまで待つことになっていたので

手術室の目の前まで3人で移動する。

手術室前で頑張ってくると手を振り、私は手術室へ。

今回も乳がんの時同様、手術室前でメガネを外したので

看護師さんに手を引っ張ってもらいながら

手術代の前まで誘導してもらう。

ベットに横になったら背中に痛み止めの管を入れたところまでは覚えているが

そのあとからの記憶はなく、次に起きたときにはICUへ向かう途中だった。


起きたとたん、物凄い寒気と震えが出始めた。

体全体が自分の力では、止めることができないぐらいに震え出し

そばにいた人に、もの凄く寒いと伝える。

するとすぐさま熱を測られ、すごく高かったようでベットが止まってから

布団や電気毛布をかけてもらった。

目を開けてもぼんやりとしか分からず、どうやらオットがそばにいてくれているようす。

オットは、よく頑張ったねと言ってくれ、寒いと震えている私のことを凄く心配していた。

しばらくしたら震えは収まり、寒気も無くなった。

私の様態が少し落ち着いたのを見て、オットは帰っていった。

(約1時間半ぐらい居てくれたらしい。)


その日の夜、何度か着ず口が痛くなったので痛み止めの注射をしてもらう。

特に何もすることもないので寝ようかと思ったのだが・・・

私の隣のベットの人が、どうやら自力でタンが出せないらしく

定期的にタンを看護師さんが吸い取っていたようなのだが

その音が意外とうるさく、しかもタイミング悪く私が寝始めたときにいつもするので起こされてしまい

その上、どこかからか凄いいびきも聞こえてきて

結局、余り寝ることができなかった。

ICUでの時間は、私にとってもの凄く長く感じた時間だった。




10月12日


朝、ICUでレントゲンを撮ったあと、5階の一般病棟へ戻る。

予定通り3人部屋に移動する。

相変わらず熱が下がらないので、栄養剤の点滴プラス朝晩の抗生剤の点滴もまた開始する。

まだガスが出ていなかったので、水分が飲めず、乾燥している病室のせいで口が乾き咳が出はじめる。

少し動いただけでも傷が痛いのに、咳をしてものすごい激痛が走る。

咳のせいで痛みが倍増するので、痛み止めの点滴だけでは痛みが収まらず

座薬も入れてもらうが、この座薬を入れるのにも一苦労する。


そんな状態の中、「そろそろ歩いてみましょうか~」と看護師さんから言われる。

嫌だと思いつつ、手術前に同じ病室の人から歩かないと腸閉塞になって大変なことになると聞いていたので

頑張って起き上がり歩いてみる。

まずは病室の目の前の廊下を少し歩き、やっぱり辛かったのでほんの数メートルで終了。

熱もまだ高く、フラフラしていたので、この日はこの1回で、歩行練習は終了した。

その後、ガスが出るようになる。

1度ガスが出たら、抑えるのができなくなるぐらいにガスがしばらくで続けるようになる。

初めは、同じ病室の人に聞こえるので我慢しようと思ったが、

我慢するのも体に悪いし、我慢もできなかったので

もう開き直り、ガスを出しまくっていた。





今日は、ここまで。

ようやく折り返し地点になりました。





明日からまた抗がん剤の治療のため入院です。

でも明後日は、うみの学芸会なので

一時帰宅する予定です。


先週、診察でした尿検査で膀胱炎が発覚。

今現在もシプロキサン服用していますが

相変わらず、水分量がちょっとでも少なくなると

尿が濁ってしまい、しばらく濁りが消えない状態です。

ちゃんと3日の日に治療ができて、7日に退院できるのか

ちょっと不安になってきています。



入院の話の続きは、退院してきてからまた書きます。