戦前に教育を受けた人は、すごい表現を使うなぁ。

大川周明の「獄中」日記の昭和12年9月11日の記述の中に、こんな文があった:

 しかるに一朝、五・一五事件に連座して囹圄の身となるや、公私一切の葛藤たちどころに撥無せられ、一超脱然、悠々無為なること太古の民の如くなるを見た。

「囹圄 (レイギョ)」 は、何となくは分かる気がするが、そんな言葉を使う人がいるというのがすごい。

獄舎のことである。

「撥無」も、何となく分かるような気はする。"排除する" という意味だ (→ コトバンク [撥無])。