松井今朝子 『奴の小万と呼ばれた女』 (講談社、2000) を読んでたら

 腰元の口は封じられても、世間の口にまでは戸が閉てられず、二日後早くも噂が木津屋に届いたとき、祖母と兄は腰を抜かさんばかりに驚いた。

という文が出てきた。

「口に戸がたてられない」 という慣用表現であるが、「たてる」 の部分が 「閉てる」 となってるのがいい。

教科書的、あるいは辞書的には 「立てる」 かもしれないが、「口に戸は ・・・」 とくれば 「たてられない」 と続く。

それをどう書き表すかは後の話だ。

「立てる」 としてしまっては、日本語のたたずまいを崩してしまうような気がする。


「戸をたてる」 なんて、今ではめったに耳にしないかもしれない。

「戸」 と 「閉てる」 -- t の音を響かせた語が重なる。いかにも 「戸を閉てる」 という雰囲気が音からも伝わってくる。

もちろん 木戸 であり、日本家屋の出入り口だ。


では、「たてこもる」 は?

「立てこもる」 もありかもしれないが、「閉てこもる」 というのもそれらしい感じを受ける。



* 上記のように書いたものの、日常のやり取りで上記のような文字を用いることは、おそらくないだろう。あくまでも、小説という土俵の中での話だ。