漱石の 『門』 にこんな一節があった、

 彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。その心はいかにも弱くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて 希知 に見えた。

希知 には けち と振られている。

この語をネットで検索しようとしたが、ヒットしない。

ヒットしたのは 「知希」 という名前がどうだとかいうサイトばかり。


希知 は キチ と読めそうなのに けち と読ませるということは、現在では当て字とみなされる表記なのかもしれない。

では けち とは何か?


goo国語辞典 [けち] を見ると、「けち」 の定義は複数ある。

その定義を見ていくと、

 気持ちや考えが卑しいこと。心が狭いこと。

というのがある。これかもしれない。


岩波文庫版の 『門』 は、なるべく普通の漢字を使ったり、仮名表記で差し支えないものはかな書きにしたりしているように見えるのに、どうして 希知 については漢字のままにしたのだろう。

それにしても、文字の並びが逆であるにせよ、知希 なんて名前をつけられた子は、ちょっと気の毒な気もするな。



宗助は家主の家で話すうち、家主の弟が蒙古にいることを聞く。

その弟が戻ってきている。今度会ってみないかという話になり、蒙古からは安井という男もいっしょに戻ってるという。

安井は宗助がお米を奪った相手である。

宗助はそのことをお米に打ち明けることもできず、彼らが会食するという日の仕事帰り、暗澹たる思いを抱いたまま家路をたどるのである。