泉鏡花の 「十六夜」 という、関東大震災後の周辺譚を描いた随筆の中に
商家の 中僧 さんらしいのが、馬子に覚え、とも言わないで、呼ばわりながら北へ行く。
という文があった。
この 「中僧」 というのが気になった。
「商家の」 とあるから、お坊さんのことでないのは分かる。
商家の使用人のようなものだろうとは思ったが、初めて見る語であるから、確信がない。
手元の小さな国語辞典を見たが、見出しにない。
『広辞苑 (第4版)』 を引っ張り出してきたが、これにもない。
期待を込めてネットで検索をかけると ・・・ あった。
ただし、見出しは 「中小僧」 である。「大辞林 第三版の解説」 に出ていた。
商家の、年嵩であるか、もうすぐ独り立ちができるというところまできた小僧のことだ。
少し格が上の小僧だから中小僧。
はぐれ馬を捕まえたはいいが、狭い近所にはつないでおく場所もない。
そこへ、その馬の馬子に心覚えがあるらしき中小僧が現れて、その馬子に知らせに走っていったのである。
商家の 中僧 さんらしいのが、馬子に覚え、とも言わないで、呼ばわりながら北へ行く。
という文があった。
この 「中僧」 というのが気になった。
「商家の」 とあるから、お坊さんのことでないのは分かる。
商家の使用人のようなものだろうとは思ったが、初めて見る語であるから、確信がない。
手元の小さな国語辞典を見たが、見出しにない。
『広辞苑 (第4版)』 を引っ張り出してきたが、これにもない。
期待を込めてネットで検索をかけると ・・・ あった。
ただし、見出しは 「中小僧」 である。「大辞林 第三版の解説」 に出ていた。
商家の、年嵩であるか、もうすぐ独り立ちができるというところまできた小僧のことだ。
少し格が上の小僧だから中小僧。
はぐれ馬を捕まえたはいいが、狭い近所にはつないでおく場所もない。
そこへ、その馬の馬子に心覚えがあるらしき中小僧が現れて、その馬子に知らせに走っていったのである。