初めて泉鏡花の作品を読んだ。

ただし、短編である。短い作品なので、すぐに読めた。


こんな文があった (引用は青空文庫 [夜釣] から)、

 処が、一夜あけて、昼に成つても帰らない。不断そんな しだら でない岩さんだけに、女房は人一倍心配し出した。

「しだらでない」 という表現が気になった。

「しだらがない」 は 「だらしがない」 という意味ではないのか?

もしもそうなら、これは転倒語ではないのか?

「あらたしい」 をシャレで転倒させた 「あたらしい」 という語が、現代の日本語として定着してしまった例があることだし。


ネットで調べてみると、同じようなことに触れている人がいた (→ 道浦俊彦/とっておきの話 ことばの話935 「ふしだらとだらしない」)。

「ふしだら」 の 「ふ」 は 「不」 だろうが、「しだら」 の語源については複数の説があるとのこと。

「自堕落」 の音が転じたというのや、梵語の sutra から来たものだというのがあるそうだ。

しかし、前者だとすると 「不」 で否定すると 「自堕落でない」 となって、良い意味の語になってしまうのではないだろうか。


後者とのつながりについては、ここでは省く。

それよりも、現代の日本語で普通に使われる 「だらしない」 という語が、「しだらない」 であったかもしれないと知ってうれしかった。

私の勘も、案外といいところを突いていたようではないか。


鏡花は明治6年生まれだから、そんなに古い作家ではない。

それでもまだ 「しだらない」 という語を使っていた。

新しいことばは、突然変異のように、いきなり出現するのだろうな。