「行う」 は 「おこなう」 ではないか、と考えるのが普通だろう。

でも、それでは文意に合わない気がする文を見た。

フリガナが付してなかった文である。


下記の文は田中貢太郎 「上海瞥見記」 (平野純・編 『上海コレクション』 所収) にあったもの。

 その芸妓は宴会になると卓の間を廻って酒を行った

常識的に考えると 「酒をいった」 だの 「酒をおこなった」 だのという読み方は変だと分かる。

そして、普通に考えると、「酒を」 という語から判断して、「ふるまう」 という述語を連想する。

でも、普通の国語辞典で 「ふるまう」 を引いても 「振る舞う」 くらいしか出ていない。

それでも、上の文を書いた人はきっと、「ふるまう」 という読み方をされると思っていたはずだ。


「行」 という文字の入ったことばに 「行為」 というのがある。

「行為」 をヤマト言葉で表現すれば 「ふるまい」 となる。

漢字の読み方ではなくて 意味 から読ませる表記を取ったのだろう。

昔の人は ナントカ漢字 にとらわれずに、かなり自由に漢字を用いたもののようだ。