自転車は便利だと思う。
進むためのエネルギーは全て人力なのに、あんなにも早く、あんなにもたくさんの距離を進む。歩いたり走ったりするより何倍も楽な乗り物だ。
自転車があれば遠くまで行ける。自転車に乗って旅をして、日本一周を達成する人もいるくらい。自転車は便利だと思う。
競技として使われることもあって、そこでは速さを競い合う。トライアスロンでは一番長いパート。中間にある種目だ。そして、スイムよりも、ランよりも、バイクパートが1番速い。
5月に行われたトライアスロンの世界シリーズ第3戦横浜大会は、大雨の中でのバイクパートだった。スリップの可能性が高まる中で高速で横浜の街を駆け抜ける世界トップクラスの選手たち。沿道に立って、横切る風を受け取るとその速さを実感できる。
注目選手の1人。ジョナサン・ブラウンリーはリオオリンピックの銀メダリストだ。兄のアリスター・ブラウンリーと共に圧倒的な実力を見せつける最高峰の選手。
横浜大会にはそのジョナサンが出場していて、世界最高峰の戦いを生で見れると、大雨の中にも関わらず多くの観客が沿道を埋め尽くす。
1.5キロのスイム
40キロのバイクを終えて、
いざ、勝負のランに入ろうかというところ
ジョナサンは落車した。
バイクパートが残り1キロほどのところで、
集団内でポジション争いが起きていたあたりのことだ。雨と細かいコーナーリング。いくつかの条件が重なって、ジョナサン含む数名の選手がレースから離脱した。
落車の衝撃が大きく、ジョナサンのバイクは破損してしまった。もうレースに戻ることはできない。会場に設置してあるスクリーンには、ジョナサン・ブラウンリーDNF(途中棄権)の文字が現れた。
大雨の中でも聞こえた観客のため息。
トライアスロンの極限状態であるのに関わらず、そんなことも感じさせない走りをするジョナサンを、世界の頂点で戦うジョナサンを、トライアスロン最高峰の戦いを観られなくなってしまった。陸上の大会とはまた違う争いがそこにある。
そのことへのため息が漏れる。
大雨は止む気配がない。
レースは止まらない。
強豪スペイン勢がレースを引っ張り、観客はその姿を追いかけ直す。
すると、DNFしたはずのジョナサンが走っているとの情報が流れ出す。落車して、バイクが壊れて、レースに復帰できないはずのジョナサンが走っている。
それはランパートに入ったのではなくて、
バイクパートでのことだった。
バイクを担いでジョナサンが走っている。
彼はまだレースを辞めていない。
一体なんのために
レースに勝つことはもうできない。
本来自転車に乗ったスピードで通過するはずのコースを走っているのだから、差は大きく広がっている。絶対に勝つことはできない差だった。
それは誰にだって分かることだった。
もちろん本人でさえ分かっていることだったはずだ。
バイクを担いでいるジョナサンはなぜ走っているのか。なにを考えているのか。レース中にそれを問いただすことなどできやしない。
だけど、今まで見たことのないその姿に感動している人がいた。
自転車は便利な乗り物で、とても速い。
競技用ともなれば車にも劣らないスピードを出すことができる。利便性やスピードを追及された乗り物だ。
そんな乗り物を作り出した人は、落車して壊れて、そしてレースで担いで走り出すなんて使い方は想定していないはず。
自転車を利用して前に進む手段の中で
最も非効率な方法だ。
一度自転車を降りて担ぐことが前提の別競技においては、それ自体が有効かもしれない。だけど、トライアスロンにおいては、勝利から最も遠ざかる行為のはずだ。
勝利にしか意味がないのであれば、それはまったくもって無駄な行為である。
だけど
僕はその後ろ姿に感動した。
意味のないはずの後ろ姿に感動した。
本当に意味のないことだったのだろうか。
競技者は勝利を求めて
戦い続ける。
それを観ている人は感動を求める。
だけど、たまにスポーツでは
勝敗に関係のないことが起こる。
トライアスロンは比較的に
偶然の要素が少ないスポーツだと思う。
それでも起きることがある。
勝利とはまったく関係のないのに、
なんのために戦っているのか分からないのに、
感動を呼んでしまうことがある。
トライアスロン競技の舞台で、
ジョナサンは誰と戦っていたのだろう?
他の選手? 自分?
いったいなんのために走り出したのだろう?
観客のために? プロとして?
その答えがあるとは限らない。
彼は理由があったから走り出したとも限らない。
少なくとも、僕にはその本当の理由が分からなくてもいい。きっと、こうなんだろうなと考えることができればいい。
スポーツの答えは誰かが出してくれるものじゃない。確かに勝者は現れるけど、それ以外の魅力が存在する。
それを知れたこと、そして何より
この目でジョナサン・ブラウンリーの走りを見ることができて本当に良かった。
ムコーダ