母さんのくも膜下出血闘病記録

母さんのくも膜下出血闘病記録

ある日突然倒れた母さん。



それまで健康で元気いっぱいの母さんだった。



病名は脳動脈破裂によるくも膜下出血。



夫である父、5人の子供達から見た闘病記録。



母さん頑張って!!とにかく生きて!!

くも膜下出血。

それは突然やってきた。

娘である私のことが分からない??


思い出しながら、ゆっくりゆっくり更新します・・・



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くも膜下出血で倒れてから、2年と8ヶ月。

突然また倒れた母さん。


おばあちゃんの介護をしつつ、以前の生活とまではいかないものの、

ゆっくりと、日々の生活を過ごしてきた母さん。


トイレで突然倒れた・・・



おばあちゃんのディサービスでお世話になっている職員さんの訪問で発見され、

救急車を呼んでもらい、病院へ搬送。


私たち、娘に連絡が入ったのは夕方、

くも膜下出血で倒れたときの衝撃がまたも!!

一度目と違い、二度目はもう・・・という思いがあり


私の中では、「もうダメだろう・・・」

今回ばかりは弱気。


でも、病院へ向かう間の父や弟からの電話の内容で

不安は一変、ひとまず安心。



私たちの『母さん』は


意識の方はまずまず・・・

検査のため入院。

どうやら、後遺症?らしい・・・。と。


後遺症って、記憶障害だけじゃないの?


稀に後遺症として

『てんかん』という病気が発症するらしい。


・・・。


『てんかん』って・・・

映画やドラマなんかでしか見たことないけど

泡吹いて、意識がなくなって、倒れちゃう??


ひと安心していたのも束の間

またも不安な気持ちに陥る・・・


帰ったら調べなきゃ。



なんで- !!


なんでこうなるの・・・







神様・・・


どうしてですか?


どうして、母さんばかりに試練を与えるのですか?



どうしてですか?






私達にも母さんの苦しみを分けてください。

母さんばかり・・・苦しめないでください。







また奇跡を起こして!


母さん。


頑張れ!!




記憶の次に苦しめられているのが

倦怠感。


体の倦怠感もそうだけど、気持ちの倦怠感。


自分で自分を追い詰めてしまうようだ。



病気をして、前の生活から一変してしまった。


自分は誰の役にも立てない、お荷物。

なんて考えてしまうようだ。


そんなこと誰一人思っていないのに。


世話好きで、よく気の利く、働き者の母さんだからそう思ってしまうのかな。



気持ちの倦怠感から


やる気が起きない


悪いほう悪いほうへと考えてしまうようだ。




あんなに好きだった


与 勇輝の人形。


仕事の休みには自宅で人形を作っていた。

本やビデオで独自に研究し、材料にも凝って

器用に上手に。

好きだからあそこまで出来るんだろうね~なんて、姉と言ってた。


人形作るために、時間がもっと欲しい。

時間が足りない。

なんて言っていたけれど


時間がある今、そんな気にはなれないようだ。



母さんの口癖


母さん仕事もしないで、家にいるからねぇ・・・


何を言っているの?

母さん今まで働きすぎたから、ゆっくり休めってことだよ~っ。と私。




いつまで母さんを苦しめるの?


くも膜下さん。




自宅での療養は末っ子の弟と父が交代で付きっきり。

またどこかへ行っちゃうと困るので・・・

退院したからってまだまだ体力は戻っておらず

・すぐに疲れる

・常時頭痛がある

・時々分けの分からないことを言う(母さんごめんね)

みんなで腫れ物に触るかのように接していた。

この病気は、病状が良くなっても後遺症に苦しめられる。

幸い、体の麻痺などはなかったけれども

本人が自分で分かるくらい、物忘れ、倦怠感が残った。

このことに母さんは苦しめられる。。。


1ヶ月もすると、自宅の横にあるスーパーへ1人で買い物に行けるようになった。

そのときのことを母さんから聞いた。


大根を買いに行くぞ!

大根、大根・・・・・・・・

店に入り さぁ!買い物を!

と・・・何を買いに来たのか忘れている。

思い出そうとしても・・・思い出そうとしても・・・

思い出せない・・・

なんだったっけ?

えーと・・・

・・・・


スーパーの中で、涙が出そうになった。


古い記憶はしっかりと覚えているのに、

新しいものは脳が受け付けてくれない。

10分前のことはすっかりと消えてしまうようだ。


自分で分かるだけに、かなり辛いだろう。



シャント手術前の先生の言葉を思い出した。


動脈瘤破裂の際の出血で前頭葉を傷つけ、脳挫傷の状態です。

記憶の方は術後も良くならないかもしれませんね。


一瞬の出血で、母さんの記憶は破壊されてしまった。



母さん本人は辛いだろけど


今、此処に生きている

今、此処で笑っている

今、此処で、みんなの前に居てくれる


それだけでじゅうぶんです。

だってそれを1番に望んでいたのだから。




かなりの年月が経って、このブログも放置してしまっていたけど・・・

今の母さんを記録しておこう。



外泊許可が出て、何泊か過ごし、

病院に戻ってから、行方不明事件があった。


大学時代の友人が、母を見舞ってくれて

母は友人をバス停まで送っていったようで・・・

見送って頭が真っ白になってしまい椅子に座り込んでいるところを

病院のスタッフに発見された。


まだまだ歩行もままならないのに、病院の外へ

しかもバス停は大通りに面した場所。

ゾッとしちゃいます。

何事も無く、無事に戻ることが出来てホントよかった。


(この話は最近になって母から詳しく聞いたのだけど・・・

 当時はなぜあの場所に居たのか分からなかった)


病院の方には大変ご迷惑をお掛けしました。



でも父は、病院の管理に対して不安を感じたのか

自宅療養することし、行方不明事件から数日後退院。


めでたく!

退院?!


くも膜下出血発症、手術から約1ヶ月半。

長いようで短かった入院生活。

寝たきりのころは、長く・・・重い時間に感じた。

管も取れ、歩ける様になってからは、あっという間に時間が過ぎていったように感じた。


よくここまで頑張ったね!母さん!

見事生還したよ。

さすが私達5人の母さん。


でもこれからが、この憎き くも膜下出血 という病気との戦いなんだよね・・・









4月19日


ついに!自宅へ一時戻れる日が来た。


予定では4日間。

最初は1日から・・・とかって思ってたので

へっ?!4日もー??と少々びっくり。


病院での昼食を終え、父と弟とともに

帰ってきたー!


私と姉は待ちきれず、2時間も前に着いちゃって

なぜかドキドキ。


モヒカン頭に帽子をかぶり、パジャマ姿の母さん。

顔色は、うん!いい!

足取りはまだまだだけど、何とか自分ひとりで歩いてる。


ソファーに座り、少々の微笑で家の中を見渡している。


ずっと続いてる頭痛は、相変わらずのようで

疲れたり、興奮すると痛みが増すようだ。


この外泊は、これから退院後の生活に向けて

自宅療養できるか、リハビリ施設に入所が必要か

お試し外泊のようなもの。


自宅で、皆で話が出来る。

そんな普通の事がこんなにも大事に思えるなんて

家族の命の危機を経験してから気付くなんて。

今回の母さんの病気は、

私たち家族に色んな事を教えてくれたんだ。



弟は、母さんの退院に向け、

入学が決まっていた専門学校を諦めた。

母さんの介護のため。


私たちに相談も無く、自分の意思で決めてしまった。

私たちからすると、残念。

自分の夢よりも、母さんを選んだ。


弟の決断には胸が熱くなった。

こんなふうに心の優しい子に育て上げたのは

紛れも無く、母さんだね。

末っ子の弟はいつのまにか

こんなにもしっかりした大人に成長した。



一度嫁に行ってしまった私たちには

子供だっているし、頼めなかったのだろう。

父は働いて、家計を支えなければ。

家のローンだって残っている。

妹も働いているので、付きっ切りの介護は出来そうに無い。


考えて、考えて。自分ひとりで抱え込んでしまった。

私も姉も、出来る範囲で母さんの手助けになろうと

思っていたので、相談が無かったことが悔やまれて仕方ない。

いや、私たちから名乗りをあげもっと積極的に動かなければいけなかったんだ。


まだ20歳の弟。

色んな事をやりたい盛り。

この先、この事を後悔するようなことが無ければいいが。。。

若いからいくらでもやり直しはきく。

その時は、私たちが手助けになってやらなければ。


母さんが倒れてから約2ヶ月。

この2ヶ月間は内容も濃く、すごく長く感じる。

今となっては、あっという間に過ぎたようにも感じるけど

いろんな事を一度に経験した。


びっくりだ。

ホント、人生何があるか分からない。


でも一番ビックリなのは、母さん本人だよねー!








4月17日


外泊許可出たー!!


シャント手術後も順調!

リハビリのほうも、母さんの頑張りあって

身の回りのことはほとんど出来るようになって

家に帰ってこれることに。


もー。

この日が来るなんて、1ヶ月前には予想も出来なかった。

命が助かったことだけで奇跡だよ!

なんて思ってたのに。


自分の足で歩いて、自分で食事をして

自分の意思で会話して。


奇跡を信じて、母さんを信じて

ここまで乗り越えてこれた。


1番頑張ったのは、もちろん母さん。

ホント。

よく頑張ってくれた。


さすが!私たち5人の子供たちを生んでくれた母さん!


まだまだ、元通りの母さん!とまではいかないけど。

きっと、もっともっと良くなってくれるだろう。


もう少しだね!母さん!








4月15日(土)


今日の母さんは、頭のガーゼも取れ、抜糸も済んでいた。

帽子もかぶらずにいた。

右側面から前頭部は髪が剃ってあるので、横から見ると


モヒカン


かっこいいー。


今日は前回の面会よりさらに元気そう。

でも、倒れる前に比べるとずいぶんやせたなー。

軽く10キロは落ちたんじゃない??ってくらい。


顔も老けた。

色も白くなった。



会話は弾む。

でも、ズレる。

 

母さん「ここのカーテン、母さんが全部縫ったのよー。」(自信満々に言う)


そんな訳ない。



私「なんかいる物無い?」


母さん「ないよー。わざわざ行かなくていいよー。」


私「売店までだから行けるよー?」


母さん「あー、売店ねー。」


私「行ったの?」(父か弟が連れて行ったと思った)


母さん「うん、行ったー。そこの入り口から行ったらすぐよ。」(後で確かめたが、そんな事実はない)

と、窓の方を指差す。


私「うっそ!?」(ここ5階だぜ???)



頭の傷を見て

私「ぉおー、綺麗にくっついたじゃん?」


母さん「うん、母さんが縫ったから。汚かったからねー。」(おいおい)


私「へー・・・母さんがねー。上手じゃん・・・。」(汗)



服をめくり、お腹の傷を見せる。



母さん「これもねっ!」(得意げに)


どこから来るの?この自信・・・汗




今日は面白いことばかり言う。

本人は真面目なんだけどね。



この日は、ダンナと長男も時間差で会うことが出来た。

もちろん会話はズレてたらしい。



まっ、多少のズレは仕方ない。

とにかく元気そうで安心した。





4月11日(火)


術後初めての面会。

術後の感染予防のため、面会は制限されていたので

久々の対面。



もう一般病棟へ移っている。

私が行ったとき、ベットの上でボーっとしていた。


私に気づくと、にっこり笑ってくれた。


私「どお?調子は。」


母さん「んー、ここが痛い。」


と、首筋を指差す。

そりゃー痛いだろうね。管が通ってるもん。

皮膚の上に盛り上がっている。

頭はバルブが付いているのか?もっこりした部分がある。

抜糸はまだの様子。結構大きなガーゼが貼ってある。


会話はいい感じ!

倒れた時、今の状況を話してみる。


母さん「信じられないー、そーだったんだー。誰も言ってくれなかったからねー。」

何回も言ってるけどね。


多少のずれがあるものの、しっかりかみ合うぞ?!


みんなで付けた、母さんの連絡ノート。

見せてみた。


母さん「へー。こんな事がねあったなんてねー・・・。」

びっくりしてる。

でも、ちゃんと理解できてるのかはちょっと怪しい。


一番の変化は、目線。

術前は会話していても、目線がよそを見てるような、

目つきもうつろだったけど、

今はしっかり私を見ている。

目が合う!


ぉぉおおおー。これって結構すごいぞ!

母さんからすれば夢の中の会話だったのが、現実に会話をしている。

そんな感じ。



痛い思いしたけど、手術を受けて良かった。

ほんと良かった!



1時間ほど話をして病室を後にした。


今日は、充実した内容の会話が出来て嬉しかった。




4月5日(水)


シャント手術当日。


付き添いは、父、5番目の弟、私の長女(母さんからは初孫)


私は、ちっちゃい子供二人いるので遠慮した。

私の変わりと言っちゃ何だけど、長女を行かせた。


父も心配なようで、前日はこんなメールを送ってきた。



母さん可哀相。

もうあのままでいいから、オペしないで欲しい。

サインするのに涙が出て・・・(手術の同意書)


母さんをあんな目に合わせたのは、父さんかもな。

ごめんね。



すごく弱気になってる。

こんな父さん、初めて。


私はとにかく励ました。

一人で抱え込まず、みんなで力あわせよう!って。


 

○○(私)の大事な母さん、しっかり支えような!

ありがとう。


母さんが、一番辛い思いしてるんだから。

何としてでも、私たちは前向きに頑張らなければねっ!



付き添いに長女を行かせたのは正解だったみたい。

孫の前で肩落としてる訳にいかないもん。

父さんの緊張も和らいだようだ。


約2時間の手術は無事終わり、麻酔が覚めると

母さんは元気そうに会話をしたらしい。


良かった。




でもただ一つ気になることが・・・。


手術の説明の際、先生が言った言葉。


動脈瘤破裂の際の出血で前頭葉を傷つけ、脳挫傷の状態です。

記憶の方は、手術の後も良くならないかもしれませんね。



シャント手術をすれば、ボーっとした状態や物忘れ、記憶のあいまいなところ、

いわゆるボケのような症状も治ると思っていた私は、

すごくショックを受けた。


私が生まれてから、沢山の思い出。

全部消えちゃうって言うの??


手術が無事終わっても、なんだか落ち着かず気持ちはブルーだった。



そして、術後。


父からのメール。



10時開始、13時終了。

無事に終わった。


ただ、記憶のほうは今後も戻らないようですね。


○○は(長女)これから焼肉連れて行って、明日送っていくから心配するな!



切ない。


父も同じ気持ちだろうに。

来てくれた孫の事考えてくれて。


父の事だから、こんな時一人で居ると余計なこと考えてしまう。

孫がいて気持ちも紛れてるのかな?



母さんはもう、以前の母さんには戻れないんだろう。

憎いよ。この病気。