今年もいよいよ大詰めの時期になって来た。毎年そうだが今年も結局予定通りにはなかなか進まず、この時期になっ ていろいろとバタバタとコトを進めないと行けない状況になっている。先週末と今週前半はいろいろ充実した時間を過ごせてよかったのだけれど、現実とビジョンの両方を同時に進めていくことの難しさが今後の大きなテーマとなってくる予感を感じた終末だった。来年以降どうするか?といろいろ悩んだ一年だったけど、その間にも世の中は大きく変化し予測できない未来に対してどれだけ対応しうるか?を考えさせられる一年だったようにも思う。まだ今年を振り返るにはタイミングが早い気もするけど・・・。年末は実家でゆっくり過ごして来年の予定をしっかり練ろうと思う。そういえば先週末に友人と久しぶりにランチをして、そのときに話していたときからずっと考えてしまっていたんだけど、アート、デザイン、ビジネスっていう対比や括りって今の世の中に通用する言葉なのだろうか?

例えば、アートって言ったときにも趣味で絵を描いてる人もいれば、ビジネスとして絵を描いている人もいて、アートをビジネスとしているアーティストもいる訳で、一般的に捉えられているアートとはどんなモノなんだろう?と考えてしまった。くだらない疑問と言えば下らないんだけど、一方で、デザインをやっていると言った場合に、デザインとアートの違いってなんだろうとか、そもそもビジネスっていう括りもビジネスマンという何か固定されたイメージによって捉えているだけで、そもそもアート、デザイン、ビジネスに垣根なんてないんではないか?といろいろ考えてしまった。

また別の話で「ジョハリの窓」という自己の公開とコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案されたモデル。というものをその友人から教わった。自己には、「公開された自己 」(open self)、「隠された自己」がある (hidden self) と共に、「自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己 」(blind self) もあるし、「誰からもまだ知られていない自己 」(unknown self) があると考えられる。『ウィキペディア(Wikipedia)』というモノがあり、他人からも自分からも分かっている公開された自己を大きくしていくことが自己の開示が進んでおり、これが一般的にいう大人になるということなのだという話であったように聞こえた。その後さらに話は変わり、昨今の経済危機の話題へと移り、実体経済と金融とデリバティブのピラミットの逆転現象、クラッシュの話になって、そこから、経済コミュニティと他のコミュニティ、6次の次元、スモールワールドなどへと飛び火してしまって我々の会話も少々クラッシュ気味になってしまった。。。と言う訳で、議論を絞って話すことの重要性をそのときにも感じ、何をテーマに議論をするか?が僕の抱えている当面の課題のような気がした。

さらに別の話、パーソナルファブリケーションについて、コンピュータの低価格化やオープンソース などの普及によって、誰でも簡単に個人がソフトウェアを作れるようになったために、ソフトウェア関連の進化が急速に進んでいる。これと同じようなことがハードウェアでも起きようとしている。ということが大枠の話なのだけれど、例えば一般に売られているインクジェットプリンターを例に挙げて考えてみると分かりやすいかもしれない。ひと昔前であればコンピュータで描いたグラフィックを出力することは様々な知識と技術を要し、プロの世界でしか扱うことの出来ない物だった。しかしインクジェットプリンターの普及によって、誰でも簡単に自分でとった写真や画像を出力できるようになって来た。これと同じように例えば身近にある実態のある物も、素材の問題はあるにせよコンピュータ上でつくり出された形状を実際に出力することがパーソナルに可能となる世の中がくるかもしれない。ハードウェア的制約によってソフトウェアが進化していった過程のようにソフトウェア的制約によってハードウェアが進化する過程。

などなど自分の立ち位置をしっかり見定めていないとあっという間に迷子になってしまうような話が続き、例にもれず知恵熱が出そうになってしまった。僕の場合は建築の設計はかじっているが基本はCG制作で絵や映像作りを扱っているという立場で何が可能か?ということをしっかり捉えて今後のビジョンを組み立てていかないと行けないなと、そのときにあらためて感じた。そうこう書いているうちに、ふと、一冊の本を思い出した。

「メディア論 人間の拡張の諸相 M・マクルーハン著」
この本でメディアとされている項目は26項目となる。

話されることば、書かれたことば、道路と紙のルート、
数、衣服、住宅、
貨幣、時計、印刷、
漫画、印刷されたことば、車輪・自転車・飛行機、
写真、新聞、自動車、
広告、ゲーム、電信、
タイプライター、電話、蓄音機、
映画、ラジオ、テレビ、兵器、
オートメーション

このうちオートメーションの一文「将来は、オートメーション時代における生き方の学習が、人びとの仕事の内容になるであろう。これは、電気による技術全般に見られるパターンである。これによって、芸術と商業、仕事と余暇などの古い二分法は終わることになる。」、なるほど、、こんなことがこの本に書いてあったなんて知らなかった・・・。今年の1月に読んだ本で、ピータードラッカー著の『ポスト資本主義社会――21世紀の組織と人間はどう変わるか』という本にもにたような内容が書いてあったこともふと思い出す。

このメディア論は冒頭でメディアはメッセージだ。と言っているのだけれど、仮にすべての身の回りのモノがメディア化していく場合は全てのモノは人々に生き方を伝えることが大きな役割となってくるという結論に至って行く気がするんだげれど・・・。結局、なんの話かまとまらないうちに今日は既に電池切れです。