JW二世は被害者であるとう事実があります。では加害者は誰ですか? | JWクジラの独り言 ホエールゾ!

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JWだけど、もうすぐ元JWかも。。。^^

K会衆には、Yちゃんと呼ばれている、開拓者の姉妹がいました。

彼女は、高校生の時にバプテスマを受けました。

開拓者となり、近隣の元宣教者の兄弟から外国語を学び、クジラと一緒に外国語会衆へ移動しましたが、例の組織の変更でK会衆に戻りました。

K会衆に戻って程なく、Yちゃんの持病が悪化し、手術が必要になりました。

長老や医療委員会の助けで、Yちゃんは
無輸血手術を受けました。
輸血の問題もあり、腹腔鏡手術に自信のある担当医は、開腹手術を避けました。

手術は成功しました。
いいえ、そのように見えました。

しかし、癒着していた腸に穴が開き、命の危険が生じました。

医者の腕が良かったため、手術で腸に穴を開けてしまった可能性が見過ごされ、Yちゃんが腹痛を訴えても、まる一日放置されきちんと対処されなかったからです。

結果論ですが、開腹手術が妥当だったという意見も、聞かれるようになりました。
会衆も、病院も大騒ぎになり、長老は連日病院に詰めました。


幸い姉妹は一命を取り留めましたが、病院はその後、無輸血手術を拒否するようになったようです。

Yちゃんは、会衆の親切にとても感謝していました。

健康を取り戻してから、Yちゃんは元の外国語会衆に呼び戻されました。
開拓はしていませんが、今も元気で奉仕しているようです。

さて、この若い姉妹は二世でしょうか?

いいえ、彼女は一世です。


クジラは、Y姉妹のような二世をたくさん知っています。
神への純粋な思いから、生活すべてを神に捧げて、質素な生活をしている若い二世を。

特に外国語会衆で出会った二世には、素敵なJWが多くいらっしゃいました^^

クジラはそのような二世は、一世と同じJWとして位置付けています。


JW被害者二世とは、信仰を強要されるという被害にあっている方々とクジラは分類しています。

クジラは自らJWになった二世は、一世と同じ神への思いを持つ方々だと思っています。

ですから、たとえ一世であっても、なんだかの形で強要されてJWになった人は、被害者二世JWと同じであるともクジラは思います。





では、二世を被害者にしている、加害者は誰ですか?

JW一世の親ですか?

親以外の一世も加害者ですか?

マイコンで、お花畑な一世はみんな被害者JW二世の加害者でしょうか?

そうすると、Yちゃんも加害者ということになりますね?

もしYちゃんが手術で死んでいたら、将来JWとして燃え尽きたら、そんなことになったとしても、一世だから、彼女はJW被害者ではないのでしょうか?

自分でJW活動に命をささげる決定をしたのだから、彼女はWT、JWの被害者でない、と言えるのでしょうか?


クジラは、二世であれ、一世であれ、ほとんどのJWは、WT&JW組織の被害者だと思っています。

それは、WTの教えがインチキであり、彼らが犯罪を隠蔽する犯罪者集団であり、WTの指示を鵜呑みにして、会衆で聖書的でない命令を下す長老たちすべては、反聖書的な犯罪者だと考えるからです。

聖書を学びたくて、神の教えに従いたくて、神のご意志にかなう人生を送っていると信じているJWも、全員WT&JW組織の被害者なのです。

WTは神の組織ではなく、組織に神の霊は働いていないのは明白です。

ですから、神の組織を標榜する彼らは、詐欺師という犯罪者です。



つまり、一世であれ、二世であれ、多くのJWは、WTのまやかしの教えと、愚かな長老たちの被害者だとクジラは思うのです。

二世が被害者ではないと言っているのではありません。

一世も二世も被害者だと言っているのです。

そして、加害者はWTだと言っているのです。


この事実を認識するのとしないのでは、何が違うでしょう?


一世であれ、二世であれ、JWは神の教えに魅力を感じ、聖書を学びたいと思いJWになった人々です。

あるいは、自分の意志に反してJWの教えを行わなければならない人々です。



神の教えでないことを教え込まれ、実行させられたことが、共通の被害です。


では、どうすればその被害から抜け出せるか?
共に考えることができます。

WTのまやかしの教えに惑わされず、聖書的でない助言をしてくる長老たちに服従しないなら、これからの被害をとどめることができるでしょう。

一世、二世にかかわらず、共にWTと戦う必要をクジラは感じます。


二世としてJWの価値観で生きてきたとしても、聖書の知識を持ち、WTが聖書的な指導をしていないと、認識することはできるでしょう。


立場はどうあれ、WTや聖書的に無能な長老の決定に従わず、個人の決定権を行使しできることを認識できないでしょうか?


自分の人生の決定は自分でするという自己責任を全うすることはできないでしょうか?

そのために、わざわざ断絶したり、排斥されたりする必要はないと思います。

たとえ組織にいても、自分の権利を自分で守る責任を果たすことはできると思います。

それぞれが、工夫すれば・・・。
それぞれが、聖書で理論武装すれば・・・。

この方法論については、又後日にしたいと思います。

クジラの論理展開が矛盾していると感じたり、理解できない方もおられるかもしれません。

前記事のコメントからも、クジラはそう感じています。


一つの記事で語りつくせない思いを持っています。


コメント一つ一つにお答えしたいと思っていますが、ブログ記事のUPを優先していることをお許しください。