今日12月23日は日本人にとっては天皇誕生日ですが、古くからのF1ファンの方はわかるかもしれませんが、故ミケーレ・アルボレートの誕生日でもあります。

 彼にとってのハイライトとなったシーズンは1985年ですが当時はまだ僕はF1感染をはじめていませんでしたので、彼の走りで一番印象に残っているのが1988年のイタリアGPになります。

 

 ミケーレにとって1988年シーズンはつらいものとなっていました。1987年のラスト2戦をフェラーリが2連勝したことで1988年は期待できると思っていたのですが、同量のゲルハルト・ベルガーにフェラーリのエースの座を奪われ、チーム内でターボで行くのか自然吸気のマシンで行くのかもめたあげく、1987年の改良型で行くことになったりとトラブルが続いていました。



 そして、マクラーレン・ホンダが圧倒的な強さを見せて、フェラーリは後塵を拝するばかりでした。そんな中イタリアGPの1ヶ月ほど前にコマンダトーレ(エンツォ)がなくなります。
 その弔い合戦となったイタリアGP奇跡の1-2フィニッシュを遂げます。



 このレースはセナが周回遅れのジャン・ルイ・シュレッサーと接触したミスでフェラーリが棚ぼたの1-2を達成したかのように言われていますが、確かにそういう面もありますが、ミケーレにとっては序盤に燃料セーブをうまいことやっていて後半はファステストラップを出しながら追い上げてていました。さすがにセナには届かなかったと思いますが、ベルガーは抜けていたように思います。



 多分チームオーダーが出て順位をキープしたのだと思いますが、ベルガーーアルボレートの順で1-2フィニッシュを遂げることとなりました。