再び彼らの席に戻った。
「決まったって!どんなふうに?」と私。
「さっきの提案・条件でコンサートをやってみたい。これがみんなの気持ちだ。」
そう話す「 I 氏 」の言葉に仲間たちは大きくうなづいていた。
そして続けて、主催は「ダスティンホフマンになれなかった男たち」。
私たは何になるのかなあ?と「 I 氏 」は尋ねてきた。
『協力』ではどうだろう!と、私は答えた。
分かった『協力』だね!!
じゃぁ、名前はなんとしようか?と「 I 氏 」と仲間たち。
この日そこに集まったのは8人の男たち。
そのうちの一人が、
「ちょうど今夜集まったのが8人、
なんとかなんとかエイト」というのはどう?と口を開いた。
その後、8人の男たちはてんでに思いついた名前をあげていった。
しばらくして決まったのが・・・・・
『 Music Planning Group カントリー8 』だった。
そして彼らは、
今回だけでなくいろんなアーティストをここ庄内に招聘したい、
その思いも盛り込んだネーミングだと、「 I 氏 」と仲間たちは熱く語った。
その夜、
『 Music Planning Group カントリー8 』 のメンバーと 私 は 、
「 大 塚 博 堂 コ ン サ ー ト 」 の成功を祈念して痛飲した。
異業種間の仲間たち
『 Music Planning Group カントリー8 』 のメンバーは
各自 仕事をこなしながら 「大 塚 博 堂 コンサート」に携わり
成功に尽力してくれた。
了解を得て、実名でその仲間たちを記す。
伊藤 一 江口 了二 石田 元
真田 通夫 阿部 弘 松田 秀一
故富樫 繁保 故上野 勝彦 の 8人。
もう会えない仲間もいる『 Music Planning Group カントリー8 』。
山形県庄内地方で
「 大 塚 博 堂 」 の 存在を広く知らしめてくれた、恩人たちである。・・・・・
その翌日、私は鶴岡市文化会館に赴き、
「大 塚 博 堂 コ ン サ ー ト 」 の諸手続きを済ませ、
足早に山形へ戻った。
山形ではいろいろなことが待ち受けていた。