平成23年6月4日朝

空が明るくなった5時半頃
弟の嫁ちゃんから緊急外来に来ている旨の電話が鳴った

どうやら自力で車に乗り、嫁ちゃんの運転で病院へ来た様子

担当医から
呼吸が苦しくなって来られたようで、このまま入院ですね。まだ応答は出来てますから…えっ入院を拒否してる…いや血液内科の主治医に連絡してますから、取り合えず入院しないと、日本語が話せるご家族も直ぐに来てください。


新幹線に飛び乗り
弟の元に着いた8時頃には

既に意識の混濁が始まっていた



母と弟、主人が京都から次々に到着する

誰が名前を呼べども返事をする力は無くなっていた



主治医の説明によると
肺が上手く換気を行えず、体にどんどん二酸化炭素が溜まっていってる状態です。ご本人さんには全身麻酔が掛かっているような感じで苦しさはありません。色々な最期を想定していましたが、このまま呼吸が弱くなり心臓が停止する一番楽な最期を迎えられるということです。延命を希望されていれば、全身麻酔で強制的に沈静し気道に管がはいります。そうでない場合は、このまま酸素マスクを着け、意識は無いなりにも瞼の動き自力呼吸等で生きている証を最期の時まで見ることが出来ます。



弟の意志は書き遺していた書面によって『延命は希望しない』ということが確認された



そして弱いなりにも安定が続き、夜の10時を回って私と主人は朝方飛び出したまんまの家族の段取りもあり、一旦京都へ帰ることにした

駐車場でエンジンを掛けたとたんに電話が鳴る


ケンチ(弟)が痙攣を興した!戻って!やばい!


母が勝手に心臓マッサージ
嫁ちゃんは呼び掛けつつ風を送る


ケンチ!お姉ちゃん居るから!
帰ってへんよ!


そんな事が数回起こり再び安定したのを見図り今度こそ帰宅を決めたのは夜中の0時を回っていた

看取れなくてもよいと心に決めた愛知県での入院だから

家族の誰かがその役をやらなければならないから



ケンチ、大丈夫やから。安心してゆっくり寝ぇや。お姉ちゃん一辺帰ってまた来るしな~。



そう言って自宅に着いた午前4時過ぎ、心配してくれてる友人に返信コメを入れた直後

弟はお姉ちゃんの無事を確認したかのように逝く準備を始めたらしい

午前4時20分


数分後に弟から事態の報告メールで弟が安心してくれたことを知る

午前4時45分
死亡の確認がされた旨の電話が鳴った



弟が希望していた臓器提供は病が障害となり叶わず、代わりに肺の病理解剖による医学への貢献をすることにした

解らない事が多すぎた弟の症状は今後の医学に必ずお役に立てると思う


そして暫し家族に休憩の時間を与えることも出来て優しい弟らしい最期となった





京極健一

平成23年6月5日
午前4時45分 永眠

36歳になったばかりの梅雨の晴れ間、ツバメが飛び交う頃に安らかなる眠りに就いた