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まいけるのおうち

なんとか続けてます。

今日の北海道新聞にこんな記事があったのをご存知ですか?

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20050410&j=0046&k=200504101677



【宗教上理由で君が代拒否 欠席扱い撤回を 石狩管内の高校生】



宗教上の理由で三月の卒業式での国歌(君が代)斉唱を拒否し、式に出席しなかった石狩管内の道立定時制高校の在学生(17)が、学校側が「欠席」扱いにしたのは不当だとして、学校に撤回を求めている。「日の丸」「君が代」実施をめぐり、生徒が学校の対応に抗議するケースは異例。生徒に「式に出席しない権利」は認められるのか。また、生徒が「出席できない」と申し出た場合、学校はどんな対応ができるのか。今回のトラブルは、そんな問いを投げ掛けている。



 抗議しているのは、宗教団体「エホバの証人」を信仰する男子生徒。



 同校は式の数日前、在校生に対しホームルームで、国旗・国歌の掲揚、斉唱を実施する方針と同時に憲法で保障された内心の自由を守るため、「歌う、歌わない権利」「立つ、立たない権利」があり、「それによって不利益を被らない権利」があることを説明した。



 生徒は副担任の教師に信仰を打ち明けた上で「出席できない」と申し出た。「君が代の歌詞が教義で禁じている偶像崇拝に当たる。自分で歌わなくても、聴けば音楽が耳に残ってしまうので、その場にいたくなかった」と訴えている。



 副担任が、国歌斉唱終了後に入場できるよう受付係をするなどの方法での参加を提案したが、生徒は「これを受けてしまうと、来年も再来年も同じ事で、何の問題解決にもならない」と拒否、出席を見送った。



 生徒は「学校が式に出席できない状況をつくっているのに、事務的に欠席扱いと処理されるのは、納得できない」として、「欠席」扱いの撤回と同時に、来年以降の配慮ある対応を求めている。



 これについて、校長は「一人のために国歌斉唱をやめることはできない。欠席した生徒は規則上、『欠席』以外には扱えない」と従来の対応を変える考えがない意向を示し、今後については「生徒と話し合い、学校の考えを理解してもらいたい」としている。



 しかし、副担任は「公立学校はどんな考えの生徒も行事に参加できるよう配慮すべきだ」と反発、同調する教員も多い。生徒は札幌弁護士会に人権救済申し立てを行うことも検討しており、学校は対応に揺れている。





↑全文引用ここまで↑



どう思います? ネット上ではほとんどの人が「なんてワガママなんだ!」と言う声がほとんどだったわけですが、僕もそう思いますよ。「国歌斉唱が終ってから入場し、受付をすることではどうか?」という代替案が示されていますから、学校側は充分な、いや充分すぎる配慮をしめしているのにそれも拒否してるんですから。国歌が聞こえてくると不愉快だということですかね? だったら信仰ゆえ堂々と胸をはって欠席すればいいじゃないですか。欠席しておきながら「出席扱いにしろ!」なんて非常識な要求は誰がどう考えてもできないですよ。



「学校が式に出席できない状況をつくっているのに、事務的に欠席扱いと処理されるのは、納得できない」ってあーた(^^; そんな理不尽な要求はみてるこっちが納得がいきませんって(笑) だいたいJWでは国歌斉唱時に起立して敬意を示すことは何の問題もないとされてるでしょうが。自分で勝手に基準を作っちゃダメダメ! 君が代の歌詞がJWとして問題なのではなく、国歌を斉唱するという行為が問題と思ってましたが、教えが変わったんでしょうか? (国歌が君が代から「手のひらを太陽に」に変わったとしても国歌だから歌わないでしょ、笑) 言っていることがメチャクチャなので、JW関係者はだれもあなたの行動を応援しないと思われます。



この人の要求というのは式に国歌斉唱を止めさせたいってことに他なりません。学校教育の現状を鑑みる限りそれが絶対に通らない要求だってことは17歳であれば容易に理解しているはず。つまり宗教を理由にすればどんなワガママであっても認められると思っているわけですよ。そんなことが許されるわけがあるわけありません。



っていうか、この学生(17)の周囲の人は誰か説得できなかったものですかねぇ?

そして、これがなぜ新聞記事になるのか、そっちのほうも気になるわけですが。



「1日欠席になると困るほど出席日数がやばいんですか?(笑)」



もう1つ思ったのは、この人以外の北海道のJWの子供たちはすごく困ると思うんですよ。「お前はJWなのに式に出てもいいのか?」って言われること間違い無しなわけで。非常に迷惑がられるのではないでしょうか?





ついでにこの記事に出てくる副担任さんってのは、国歌斉唱をやめさせたいからこの学生さんにのっかかっちゃっただけなのでは?と思われて仕方ないわけですが・・・。「公立学校はどんな考えの生徒も行事に参加できるよう配慮すべきだ」って、ほんとにそう思ってるのですかね? どんな考えの人でもいいんですか? 安息日が金曜という某宗教の生徒は金曜を休むけど出席扱いするのですか?(それとも日曜日に教師は学校に出てきて金曜の分の授業をしてあげるのだろうか?) テストの結果によって進級させるかどうかを決めるのは納得がいかないという考えの人にはテストを受けずに自動的に進級させるんでしょうか? 





基本的に社会というのは少数派の人の考えや信条は考慮されないものです。ともするばとっぴな要求であっても受け入れられているように見えることも有るかもしれませんが、それはその周囲の人の寛容さが示されているだけだと思います。その要求が受け入れられないのなら、少数派であることを再認識すべきだし、それが信仰ゆえの要求なら甘んじて受け入れるべきだと思うのは私だけでしょうか?
ようやく北国にも遅い春がやってきました。遠くに残雪が残る山々がはっきりと見えてとてもきれいなんですよ。こういう景色を見ていると実に平和な気持ちになります。



思えば現役だった頃にはこんな気持ちになることはほとんどなかったと思います。それが感じられるような精神状態ではなかったのでしょうね。時間に追われて行くだけの毎日・・・。今も仕事が忙しいのは事実ですが、忙しくても充実感が全然違います。心地よい疲れ、とでも言いましょうか、実に良い感じです。



JW活動を停止して10年目に入りました。最初の2年は心の中はJWのままでした。その次の2年間で徐々にJW感覚が抜けていったような気がします。20代の4年間は実にもったいないことをしたと思います。その間、成し遂げたことは1つもないのですから・・・。もし、離れてすぐ今みたいにネット環境があって、JWに関するHPを見たり、元JWたちとの交流が出来ていたら全然違っていたことでしょう。前にも書いたように大学にや専門学校に行く選択肢もあったかもしれないし、先々のことをしっかりと考えてその期間を過ごしたことでしょうね。悔やんでも戻ってくるわけでもないです。この期間があったからこそ、今の妻とも出会うことが出来たわけですから、人生悪い時と良い時はちょうど釣りあうように出来ているのかな、なんて思ったりします(^^)



辛い時期をすっかり通り抜けてしまったので、今はとても幸せだと思えます。今、辛い時期にある人たちには「ここを乗り切れば良い時期が来る」と信じてがんばってほしいなあと思います。人生の春はかならず誰にもやってくる、そう信じています。

『今は多くの人が大学に進学し、大学院に行く人もいますし、奉仕に明け暮れている人はあんまりいません。』



ある掲示板の現役JWさんの書き込みです。これが今のJWの現状であることは僕もよく知っています。今組織に居る2世3世の子供たちが以前よりも良い状況になってきていることは嬉しく思います。しかし、心のどこかでなにかひっかかるのです。「なぜ自分が高校生だった時はなぜ進学禁止だったのだろう? 10年ちょっとしか経ってないのに・・・・。」



ネットで元2世と交流するに従って「勉強が出来たのに泣く泣く進学を諦めた」とか「進学するつもりでいたけど長老に高等教育は罠となるから止めなさいと言われた」という声を何度も聞きました。僕自身は進学できなかったから残念という思いはありませんが、うちの妻などは「大学に行けるのだったら進学校を受験したのに大学進学を禁止されていたから高校は商業高校へ行ったのよ」と言ってます・・・。



たった10年、いったい何が変わったのでしょうね。教義の解釈?、それとも会衆の雰囲気? 現在のこういう状況を見ると、特に自分を含めた30代の2世は納得が行かない人が多いと思います。出来ることなら10年遅く生まれたかったと思う人も少なくないと思います。



ここまでを読んで「物事を始めるのに遅すぎることはない。今からでも大学へ行けばいいじゃないか。」という反論は止めてくださいね。



【理由1】現実的な意見ではないからです。確かに社会人入試といった枠はありますが、今やっている仕事を辞めろとでもいうのでしょうか? 子育て真っ最中の人はどうするといいのでしょう? そういう問題がクリアされても、「18,19歳の時に大学進学したかった」という思いが払拭されることはありません。



【理由2】仮に30歳で大学へ行くとすると卒業する頃には34歳。どこの企業が採用してくれるのですか? 企業の採用担当者は22歳の人と34歳の人が同じような成績だったら22歳を採るでしょうね。現実ってそんなもんだと思います。そういう状況が見えているのに、大学入試を受けるのは踏ん切りがつく人はごくわずかでしょうね。(大卒の資格を取りたいだけなら放送大学や通信制の大学へ行くという手もありますし、そうやってがんばっている元2世も知っていますよ。自分もどうしても大学で勉強したくなったら放送大学を選択するつもりですし)





後半行きましょうか。『奉仕に明け暮れている人もいません』



自分みたいに『組織の提案に従って高校卒業後すぐに正規開拓』をする人もほとんどいなくなっちゃったのでしょうね。外回りをしていても布教活動に励む人々の姿を見かけることが減ってきてますから、なんとなくそう言われるのも分かります。10年前のあの状況はいったい何だったのでしょうね。



と書きながら理由は分かっているんですけどね。96年に「世代」についての見解が変更になったことで、それまで言っていた「20世紀のうちに終わりが来る」という教えが撤回されてハルマゲドンは10年後でも100年後に来ても良いことになったためですよね。昔は大会などでの話で「今は42.195kmのマラソンの最終コーナーのところまで来ています。残りを全力疾走しつづけましょう!」なんて話がなされていましたが、見えかけていたと思っていたゴールは10km先、100km先になったわけですから熱が冷めるのも当然の話です。「走るのは止めてぼちぼち歩いて行こう。」と思ったり「ゴールはどこになったか分からないからとりあえず競技場を出ることにするか」となるのも当たり前なわけですよね。





人間は不完全だから教義や見解や提案が変わっても当然のことなんですよ。と言う反論が聞こえてきそうです。たった10年で変わるような見解や提案なのであれば言わなきゃいいのに、と思います。朝礼暮改とはこのことではありませんか? この日本という国においては大学へ行くかどうかという決断は、後の人生を大きく左右する問題です。それなのに『生まれる時期が早かった』という理由だけで有能な人が進学できないというのは理不尽だとしか言いようがありません。きっと神様は公正かつ公平な方だと思います。きっと自称「神の代弁者」の方々が神様の意思を意図的に捻じ曲げていたのでしょうね。うん、神様は悪くない。





追伸:「いや、当時も大学進学は自由だった。進学しなかったのはあなた方の意思で決定したのだ」という人が必ずいるので前もって書いておきます。僕からの反論は以下の通りです。



「今の25歳~35歳の現役2世、元2世の進学率を調べて御覧よ。特に両親揃って信者の子供の進学率はどうですか? 7割、いや特別サービスで6割超えていたらあなたの言い分が正しいと思います。まさか1割以下なんてことはありませんよね? 進学が自由だったのであれば、JW以外の人たちの進学率と大差ない、もしくはそれ以上だと思いますよ。2世は勉強好きが多いですから(苦笑)」
nonさん、コメントをありがとうございます。

ご紹介のサイトを見させていただいた感想を・・・・。



http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html

↑によると「明らかな律法に反する約束は無効とまでは行かなくとも、緩和された約束へ変更されたと見なすのが妥当。『処女であることを悲しんだ』や『彼女は男と関係を持つことは無かった』という文章がわざわざ書かれていることからもそれが分かる」ということみたいですね。だからサムエルの時みたいに幕屋で一生奉仕したと考えるのが当たり前なのだ、と。



***上記サイトを引用します。***



また、「聖書に対する洞察」はこう述べています。



『ここで用いられているヘブライ語のターナーという言葉は,裁き人 5章11節にも出ており,その箇所では,『語る』(新世),「詳しく述べる」(欽定),「語った」(聖ア),「繰り返して語る」(改標)などと様々に訳されています。その言葉は,ヘブライ語・カルデア語辞典(B・デーヴィス編,1957年,693ページ)では,「繰り返して語ること,詳しく述べること」と定義されています。ジェームズ王欽定訳では,裁き人 11章40節のこの語が「嘆き悲しむ」と訳されていますが,欄外には「一緒に話す」という読み方が挙げられています。エフタの娘は聖なる所で他のネティニム(聖なる所での奉仕にささげられた「与えられた者たち」)と同じような奉仕をしたに違いありませんが,彼女にできる仕事は沢山ありました。それらの人たちは,薪を集めたり,水をくんだり,修繕作業をしたりしたほか,そこの祭司やレビ人たちを助ける者としてさらに多くの仕事を行なったに違いありません。―ヨシュ 9:21,23,27; エズ 7:24; 8:20; ネヘ 3:26。』



***引用終わり***



「違いありません」という言葉が2回も出ているように、これってあくまで想像ってことですよね? 聖書にはっきりとした文章としてかかれていないのですから。 それに「繰り返し語る」と言う意味なら、この場合「生前の故人を偲んで回想する」という意味に取るのが普通じゃないのかなって思います。



次に。前のユダとタマルの話とも関連するのですが、「この時代は実は律法が厳格に守られていたわけではなかった」と考えると話の辻褄が合うんですよ。人身御供は明らかに異教の習慣でした。もっとも酷い習慣だったと言っても過言ではありません。いくら戦争の極限の状態だからといって、それを禁止している相手とどうして約束しちゃうのか? 意味が分かりません。 律法が厳格に適用されることはなかった、もしくはほとんど忘れられていた、と考えるとそんな酷い約束であってもすぐに口から出てしまうと思えるんですよね。



別の時に書こうと思っていましたが、上のように考えるのは「おおいなるヨベル」(レビ25:8)について実行された記述が聖書中のどこにもない、ということがあるからなんです。50年ごとに「奴隷解放」「売却した土地は元の所有者に戻される」ということなんですが、そんな大きな出来事なのに記述が一度もないのは不可解です。この命令も守られることはなかったのでしょうね。都合が悪いからみんな無視してたのでしょう。また守らなかったことを神も容認してたわけですね。



JWを始め、ほとんどの教会では「ヨベルはメシアとしてのキリストの到来を型として描いていた」と解釈しているようですが・・・・。はぁ?ですよ。 神が直接モーセに守るようにと与えた命令なのに無視ですか? 当時の人ですら守ってなかったような命令(律法)を無理やり現代に当てはめて「輸血はしてはいけません」なんていうのは荒唐無稽としか言いようがありません。





【結論】<JWの解釈を元に。

エフタの娘の話から学ぶべきことは「人と大事な約束をしてても、後で守るのがきつい状況になったら自分に都合よく条件を変えて約束を果たしたことにしてもOK」ってこと。



例1)1000万円を返す期限が来たが、辛いので50円返すことでチャラにしてもらおう。だいたい今の自分に1000万円なんて返せることがないくらい相手だって分かっているはずだ。



例2)12時に会う約束をしてたけど、雨が降りはじめたから外に出たくないから止めよう。外出できるように着替えをしてるからこれでいいじゃないか。



エフタの娘が人身御供とされなかったというJWの解釈どうりだと↑みたいな結論に達するのですが・・・。いやどっちでもいいんですけどね。どっちであっても聖書がむちゃくちゃな記述が書かれていることに違いありませんから。



人身御供あった・・・・なんちゅー酷い話だ。

人身御供なかった・・・・神との約束をなんだと思ってるんだ。守れないような約束をしてもいいのか?



うーん、聖書って「本当は読ませたくない日本昔話」以上にひどい話ばっかりですよ。これのどこが道徳教育に役立つのだろう? 絶対に子供には読ませたくない本だと思います。少なくともR-18指定くらいはしていいんじゃないかなぁ?(笑)



神様が全知全能なら、こんな誤解を招く記述をさせないと思っちゃうんですけどね・・・・。
TVを見ながらぼーっと2ちゃんねるのJWスレを見てました。「ある人の日記」をコピペしてあるのを見て「ええっー?」と言ってしまいましたよ。《一番下のリンク先の11/3(水)を御覧ください。》



JW2世なら誰もが知ってる「エフタの娘」の話の結末を新世界訳では変えているって言うんです。聖書物語の本にも出てくるくらいの話なので知らない人はいませんよね。



裁き人11:31 この戦から無事に帰ってきたら最初に迎えに来た人を神に犠牲として捧げます。

裁き人11:39 エフタは神との約束をその通りに果たしました。



この2つの聖句を冷静に読めばエフタの娘は犠牲として殺されちゃったことが分かるわけですが、なぜ今までその事実を知らなかったのか? その次の40節の誤訳によってそれが分かります。



新世界訳「イスラエルの娘たちは年に4日ずつエフタの娘を『ほめる』のであった。

普通の聖書「イスラエルの娘たちは年に4日間エフタの娘のことを『嘆く』のであった。」



そりゃ死んでたら絶対に『ほめる』ことはできませんなぁ。犠牲として捧げられたんだから嘆くのが当然だよねぇ・・・。聖書物語の本を見るとエフタの娘はずっと独身で幕屋で使えていたって思いますし、そのようにしか読めません。なんでこんなに明らかなウソを書くんだろう??? そのようにしている意図がまったく分かりません。事情を御存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

ある人の日記
いつも御覧いただきありがとう存じます。



最初に書いておけばよかったのですが、基本的に皆様が書いてくださったコメントについてはレスはしない方針です。レスをすると前の掲示板と同じ雰囲気になりそうなので・・・。(仕切りなおしの意味を込めて始めたブログなので、前とは変えたいと思っています。)



よく分からない理由と思われるかもしれませんが、何卒ご理解のほどをよろしくお願いいたします。コメントはしてくださるとすごくうれしいですので、いつでもお待ちしております。

一言で言えば「ただの読み物」でしょうか。信仰心を持って聖書を読む人たちのことは認めていますが、自分はそういうふうにはなれないなぁ、って思うんですわ。



他の元2世の方も書いてらっしゃいましたが、聖書に書いてあることって良い教訓や道徳を学ぶことも確かに出来ますけども、逆に不道徳なことだとか暴力的なことも多数書かれていますよね。



他所の掲示板に書いてあったことなんですが、例えば創世記の38章の記述。イエスキリストの先祖となった(とされている)ユダさんの話。彼は奥さんを亡くして寂しかったんでしょうね。ある日の帰り道、道端に立ってた娼婦を買春してしまうんですが、その娼婦は実は三男の婚約者のタマルちゃんだったからさあ大変。シラを切り通したかったけど、彼にはそうすることは出来なかった。なぜなら保証の品として自分の「錫」を渡してきたからです。アホですね、っていうかおマヌケさんですよ。しかもその結果タマルは妊娠しちゃったからもう言い訳できない羽目になっちゃいました。



このタマルちゃんもすごいっすよ。婚約者となかなか結婚させてくれないからといって、偽装して婚約者の父と寝ちゃうんですから。しっかり証拠品までゲットして言い訳させないあたり、かなりの策略家です。真似しようにも真似出来ない荒業ですばい(笑)





ここで疑問が生じます。

1、不道徳行為を行っているはずなのに、なんで全く問題になってないの? 神の裁きは?

2、聖書中に買春が容認されているとしか思えないんだけど、偉い人なら買春OKなの?

3、なんでそんな不道徳な人物たちがキリストの先祖となってるの?





で、もっと非科学的な話がこの続きにあるんですよ。



ユダの子供を産むことになったタマルは双子を出産することになるのですが、出産時に先に手を出した子に印として緋色の布をつけたところ、その手を引っ込めてしまい弟として生まれるはずだった子が先に生まれてきた。って話が出てきます。



これは医学的に絶対にありえない話です。狭い骨盤をやっと通り抜けた胎児がまた子宮内に戻るってことはその間胎児は呼吸できずに酸欠で死んじゃいますよ。ムチャクチャにもほどがあるって(^^; なんでこんなウソ満載のエピソードを書く必要がなぜあったのか? 意味が分かりません。(余談ですが子供の名前はペレツ(裂け目)っておいおい・・・。文化の違いかもしれないけど、なんちゅー名前付けんねん!ってツッコミを入れたくなります、笑)





と言うわけで聖書には不道徳な話あり、非科学的な話ありというわけですよ。

この手の話だとか、JWの聖書解釈のおかしさなども随時思い出した時には書いていこうと思います。

GWの頃には子供が生まれそうです。30歳を過ぎたので世間的には子供が居てもまったくおかしな事は無いのですが、今のところまったく実感が湧きません。当然なんでしょうけど・・・。



理想はいっぱいあるんですよ。まず、子供がやりたいことはなんでもさせたいです。でき得る限りのことは何でも。でも過度に期待やプレッシャーをかけることはせずに、自然な感じで伸び伸びと育てたいですね。いっぱい可愛がって、周りの人に愛される人になって欲しいと思います。



夫婦でよく話すことなんですが、自分たちが中学校や高校では部活をすることなかったものですから、何かに向かって精一杯努力するとか、限界までチャレンジすることがなかったので、精神的にもろいような気がするんですよね。部活でもなんでもいいから、打ち込むものをみつけて大人になってもそれが自信になるようなことをさせてあげたいです。



「IQを145以上にする教材」なんて広告を見かけることもあるのですが、そういうのは眉唾っぽいので嫌いです。IQが高い=勉強ができる、とも限らないし、それよりも大切なことは人間として生きていく力、だと思うんですよね。それに、普通に成長するのが子供にとって一番だと言うことも夫婦揃って知っていますからねぇ。妙に目立ったり人と違っていることが良いことだとはとても思えないから・・・。親の教育ゆえにそのような状態には絶対にしたくないです。こういうのを反面教師というのでしょうね。



いろいろと語りましたが、とにかく今は無事に生まれてくれればそれでいいや

 ま い け る の お う ち へ よ う こ そ 。



このブログはJWを辞めて10年になる元2世の「まいける」がJWに関すること・思いついたこと・日記などなどを書き綴っているブログです。JW批判も多いですので、「JWマンセー!」でなきゃ嫌だという方はものみの塔公式HP にでも飛んで行ってくださいますようお願い申し上げます。



注意事項などをいくつか申し上げます。


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【管理人について】

ここのブログにも詳しい自己紹介を書こうといろいろ書いてみたんですが、書きかけになっています。


元2世、福岡県出身、3○歳♂、妻と子供(女の子)各1名ずつ有。趣味は子供と遊ぶこと、バイクに乗ること。車の話も好き。検索エンジンはツールバーに入れるほどgoogleが好き。これがないと生活できない(笑) 


好きな食べ物・・・甘いもの・ビールと焼酎(しか飲めない)・コーヒー

嫌いな食べ物・・・レバー、人参。

どうでもいい食べ物・・・果物。年間消費量はミカン1切れ・林檎1/2個・さくらんぼ15個くらい。

性格・・・基本的に曲がったことが大嫌い。

JWの辞め方・・・分類が非常に難しいです。一応「自然消滅」だと思っていますが、ある時を境にすっぱりとJW活動を辞めましたからそういう意味では断絶者なのかもしれません。どっちでもいいんですけどね。突然消滅って枠に入るのかも(笑)


どうしても好きになれないもの・・・賛美の歌(王国の調べ?)。これはどうしても受け付けません。気持ち悪いです。


【JW問題について】

カテゴリーにもありますが、輸血問題は大きな問題だと思っています。ムチの問題、うつ病患者を多く出してしまう問題、子供に宗教教育を強制すること、いろいろありますが、思い出しつつ書いて行きたいと思ってます。


【現在の宗教観】

無宗教です。神がいようといまいと自分の生き方にも生活にも関係ないです。聖書は長年に渡るベストセラーですが、霊感をうけた書物ではないと思っています、ただの本です。クリスチャンなど他宗教の人に敬意は払いますが、それと同じように自分にも無宗教でいるという選択を邪魔しないで欲しいと思っています。


【JWでよかったと思うこと】

今の妻(元2世)と巡り逢えたことだけ、だと思います。それ以外のことはJWでよかったことなど一つもありません。学生時代にはその時にしか経験できないことがたくさんあるはずなのに、JW活動のために何一つ経験することが出来ませんでした。イエスキリストも30歳から活動を始めたのですから、それに見習って子供には宗教教育を施すのはやめて欲しいと思います。成人してから選択させればよいだけの話です。


【よくある質問と答え】



1.JWを辞めたのにブログなんかやる必要ないのでは?

答え:必要がないといえばそれまでなんですが、それだけJWという宗教が染み付いてしまったせいでしょう。自分の気持ちの中からキレイサッパリ消えてなくなるには時間が必要なようです。生暖かい目で見守ってください。


2.JWを批判したところで何も変わらないし、批判からは何も生まれないよ?

答え:JWを変えようなんて大それたことを思ってません。JWを辞めても幸せにやっていけるよ、ってのがコンセプトでございます。そのためだけにやってるといってもいいかもしれません。 

どんな団体・個人であろうと批判から逃れることは出来ません。こういうブログをやっている僕自身もそうです。ましてや宗教団体ともなれば、ね。他を批判し自分たちへの批判は免れられると思っているとしたら大間違いではないでしょうか? 批判と誹謗や中傷は全く違いますので、辞書を調べてみてくださいね。


3.お前は滅びる。ザマーミロ。(原文ママ)

答え:そんなこと言われても(笑) 


4.輸血問題に拘るのはなぜ?

答え:僕が小学生の時に「大ちゃん事件」が川崎市で起きました。僕は運よく成人しJWを辞めることができただけで、一歩間違っていれば僕が大ちゃんだったかもしれません。うちの両親は僕が出血多量になっても絶対に輸血しないと断言していましたから。本当に運がよかった、それだけなんですよ。今になって思い起こすとそれは異常なことで恐ろしいことです。輸血問題には矛盾もたくさんありますので、それらを知ってもらうことで、少なくとも「未成年の子供の輸血拒否ゆえの死」を減らすことが出来たら・・・、そういう思いでブログを書いたり書き込みをしたりしています。


5)現役です。素直に戻っておいでよ。まだ時間はあるよ。

答え:生まれて初めて素直に判断した結果、JWを辞めるという決意をしたわけで、その選択は今も間違っていなかったと確信しています。どうか無宗教者でいる自由を尊重してください。


6)そんなにJWを攻撃して楽しい?

答え:攻撃しているつもりはサラサラありません。もしそのようにお感じになっているとしたら何か勘違いなさっておられるものと思います。ここに書いてある程度のことでJWとしての信仰心が揺らぐようなら、所詮はその程度の信仰心だったということです。本物の信仰心は他者からの批判を受けても揺らぐことはありません。そう思いませんか?




【2ちゃんねらーな方々へ】

言いたいことがあるなら、ここでコメントしてってよ(笑) 僕が見てるかどうか分からない場所であーだこーだと名無しさんで発言して楽しい? 他人を批判するのに自分は匿名っていうのは気に入らないなあ。筋が通らないよ。もっともそんな理屈や道理も考えられないから書けるんだろうけど。


基本的にメール大好き人間ですんで、分からないことやお聞きになりたいことがあればメールください。


んでは、よろしくです。