インスタントな感性 | FOOLISH !!

インスタントな感性

(長文批判につき、嫌な思いしたくない人はまわれ右!)




前から言ってますように、今年に入って部屋にテレビが投入されたので、アニメを見るようになりました。
深夜アニメも色々見てます。
基本的に楽しいなーと思うものが多くて、頭空っぽにして楽しんだりキャラクターに萌えたりしてるんですけど…

その深夜アニメのなかで、Angel Beats!(エンジェルビーツ)という作品に対し毎回視聴後にひっかかるものがあるのですが、10話目にしてもう限界を感じてきたので書きとめとこうと思います。

*・*・*

◆なんなんだろう、このアニメ

結構著名なゲームのシナリオライターさんが脚本を担当されてるということで、前評判が高く、楽しみにしてました。
でも1話目視聴後の感想は…「なにもわからない」でした。
何を見せられたのか、次回何を期待したらいいのかわからないまま一話目が終わってしまいました。
自分はまだアニメの見方が甘かったんだろうか…と反省し2話目。
置いてきぼり感が1話目以上。
古典的とみえるギャグが滑ってる感。
唐突に始まる過去回想。

これは慣れの問題かもしれないし、相性の問題かもしれない。(実際、ギャグは相性の問題かと)
それに脚本の方は後半の盛り上げ方が素晴らしい、泣かせ上手なのが特徴というから、
後半に期待する意味もあって視聴を続けました。

そして先日10話目を視聴したわけですが、あと3話しかないとは思えない新展開が始まって、
「なんなんだろう、このアニメ…」と思ってしまいました。

◆アニメの手法・ゲームの手法

一話目にして思ったのは、まず脚本の作り方がゲームとアニメで違うんだろうなということでした。
ゲームは基本的に物語の最後までを売り物にしてる作り。ささいな疑問に思ったことも後々解明される保証があるので、疑問は保留して物語を進めます。
アニメや漫画では次回に引けないと売り物にならないから、「それについては追々説明しますね」ができなくて、一話目の掴みがすごく重要になります。
だから視聴者に一話目でキャラクターや世界の仕組みを単純にでも理解してもらい、「次どうなるんだろう?」と引きつけなければいけません。
エンジェルビーツの一話目はそういった視聴者へのアピールが少なく、ゲームの手法そのままだったんじゃないかと思います。

例えると、アニメは視聴者に手を差し出し、毎週一緒に物語を追う手法。
ゲームは先を歩き、「ついておいで」とユーザーが能動的になるのを促す手法。

アニメだと期待していた人にとっては、エンジェル~は手を差し出されないまま終わってしまったので
一話目でものすごい置いてきぼり感を味わったのではないでしょうか。


◆こういった作品をまかりとおしちゃうのか、という疑問

そんな感想をもってからの、2話以降で感じた雑感。

・世界の確定的なルールがいまいち掴めない
・「そこをギャグにするか!?」という悪い裏切られが多い
・それでいて唐突にシリアスが始まる
・ほとんどのキャラクターが薄い
・問題提起は盛り上がっても解決があっけなくて肩すかし
・アニメなのに口で説明するシーンが多い
・物語の方向性をおおざっぱにも掴めない

いくつかはやはり相性というか、個人の趣向なのでしょう。
アニメだから絵と動きで見せてほしいなと思うのも好みです。
ですが全体的に優先順位がキャラクターの目的<<<持っていきたい展開でキャラの行動に矛盾を感じる。これは作品として残念だと思います。
(私は特にキャラクターが作品の一番の売り物だと思っていて、そこに魅力を感じないと作品自体に思い入れがなくなってしまうタイプなので、こだわっているのかもしれません)

そのキャラクターじゃなきゃいけない、そのキャラだからできる行動ってあると思うですが、エンジェル~は「こういう展開にしたいからキャラをこう動かした」という制作側の思いが滲み出てるところがあるような気がします。
結果、場当たり的に召喚されたキャラクターがいて、さっきまで動いてたキャラがその場にいるのに、立っているだけの空気になってしまうというのが何回もありました。
あるシーンにおいて、キャラクターの役割が一つずつなわけがないです。
空にUFOが飛んでいる時に「あ、UFOだ!」という役と、「写真撮ろうぜ!」という役が同じキャラでもいいはずです。
こういった部分で、エンジェル~はキャラクターを無駄使いをしている気がしました。

また、エンジェル~はギャグシーンに作画も時間もかなり割いているアニメだと思うのですが、これもある意味無駄に感じてしまうことが多いです。
ギャグシーンなのに無駄に動きがいい、というのは面白いこともあるのでよしとして、その作画を先述の「アニメなのに口での説明する」というところに充ててくれたらよかったのにと思ったり。
もしくはシリアスな場面で、物語の核心に触れるならまだよしとして、それをはぐらかすように入るギャグ。
これも物語の方向性を掴めない、軸のぶれを作ってる原因なような気がします。
(キャラクターへの思い入れが強いと面白いと思えるギャグも、思い入れのない身にとっては内輪受けにしか見えず、物語の邪魔になっていたり)


そしてここでちょっと、「ゲームの手法」という話に戻るのですけども。
このアニメでは、私が上であげたように「世界観がつかめない」「キャラクターが薄い」と感じる方が多いようなのですが、それとは対極に「ものすごく面白い!」と感じてこのアニメにものすごく入れ込んでいる方もいます。
特にかねてよりこの脚本担当のファンは、大方このアニメを楽しく観ているようです。
そしてその方たちは、世界観も理解し、キャラクターも把握しています。
すごく不思議だったのですが、この固定ファンの方々と私の差は、まさしく「能動的になる」というゲームの手法に乗るか否かでした。

エンジェル~はアニメ放映に伴い、トラック0という前段階の小説があるようです。(コミカライズもあり)
また、アニメ情報誌で語られた設定などもあり、アニメ本編以外にも色んな外部メディアでストーリーに触れられているのです。
そこまで情報を収集できるのはファンならではです。
そりゃ黙ってアニメだけ見てる私とは理解度も楽しみも違いますよね。

このように、視聴者が能動的であればエンジェル~のアニメは楽しいのかもしれません。
しかしこのアニメでこの手法をやるのは、私はなんだか複雑な気持ちです。
ものすごく失礼な言い方をしてしまうと、これは「アニメ本編では説明しきれなかったから各自補完しておいてね」ということですから。
それをある程度の固定層があり、ある程度の成功が見込める制作陣がやってしまうのはズルイのではないか。そんな思いが湧きます。
上に書いていますように、他のアニメ(漫画)制作陣は一話目でどう引き込むか、来週も観てもらうにはどうしたら…という悩みを常にもち、四苦八苦しながら制作しています。
しかしその努力を放棄した(ように見える)このような作品が成功を収めてしまうなら、私はそれこそ理不尽だと思えて仕方ありません。

◆なに対してもやもやしてるのか

最終的に辿り着くのは、『この作品はなにがしたいんだろう?』という点です。
学園群像劇としてみると、いいなぁと思えるシーンは多々あります。
でもそれを描きたかったなら特殊な世界にすることはなかった。
銃撃戦や組織のバトルを描きたかったからこんな世界にしたんでしょうか。
だとしたらギャグを減らして(そのほうがよっぽど面白く感じるし)死んでも生き返る設定を失くして、駆け引きやアクションを重点的に見せるべき。
人の生死から人生というものを語りたかったのか。
だったらキャラクターの掘り下げと絡みを徹底的にする以外に方法はない。

このアニメでは唐突に訪れる展開がいくつかあります。
急に仲間になるキャラ。急に現れる敵キャラ。急に訪れる別れ。などなど。
これらこそ物語の筋で本来丁寧に導かれなければいけなかったものですが、このアニメでは唐突訪れます。
唐突に現れるように感じるのは、ここに至るに必要な『過程』『間』が今までにあげた『無駄』に充てられているからなのではないでしょうか。

エンジェル~を10話まで視聴して、脚本が「最終的に目指しているもののために物語を展開している」ようには思えないというのが本音です。
あれもいいな。これもいいな。こういうこともやってみちゃった。
そういうものを詰め込むだけ詰め込んで、一番大事なモノを見失っている気がします。
1クールしかないのだから、エピソードや設定は無駄なモノを捨てて絞り込まなきゃいけないはず。
たった13話しかない放送で、見せたかったものを100%視聴者に送り届けるためには。

そして脚本の方は感動を描こうとするあまり、それ以外をこねくり回して複雑にして「斬新!」としてしまっているような気がします。
そしてその複雑なものが絡まり合ってその頂点にある『泣き』の舞台に、キャラクターを無理やり連れて行こうとしているような。
そのこねくり回した複雑な部分こそ今まで語った『無駄』なのかもしれません。
最終回をみていないので判断はしかねます。


とりあえず思うのは。
無駄を排除できないのは作り手の怠慢であるということ。
キャラのために展開があるのであって、展開のためにキャラがいるんじゃない。
キャラクターは舞台装置じゃない。ということ。
(泣きの展開のために壮絶な過去を押し付けられている気がして、とても可哀想に思う)

私はこの脚本を作った方と感性は合わないんだろうな、と思います。
今まで手掛けてきた作品を好きな方もいっぱいいますし、ゲームという媒体なのでエンジェル~とはちがうのかもしれません。
本当に、水が合わないんだと思います。
好きな方にはごめんなさい。

◆勝手な不安

先にあげたように、このような作品が成功を収めてしまうことに、理不尽やアニメの今後に不安を感じます。
もうひとつ、少なからずこの作品を好きな層が、記号的に感動できるということも不安です。
これは個人の感性なので否定してはいけないと思うのですが、(物語の前後を切り離して)パブロフの犬のように感動して涙を流せるということはなんだか虚しいと思います。
そんなものがまかり通ってしまったら、まっとうに丁寧な作品作りをしている人たちがやる気をなくしてしまうんじゃないかと。
感動って言うのはもっと違うんじゃないかなと。
そんなことを思ってしまうのでした。

*・*・*

以上、AngelBeats!についてでした。

作品作りに対しての姿勢や考えは完全に主観です。
自分はこんな偉そうに作品評を出来る身分ではありませんが、作り手としてものすごくもやもやを抱えてしまいましたので吐き出しです。
まとまりのない文章で申し訳ありません。