こんばんは、毎田潤子です。
阿蘇・雲仙の視察から無事に帰ってきました。
市会議員になってから初めての「視察」、日程がタイトで体力的に疲れましたが、そのぶん得るものの多い有意義な視察になったと思います。
(かかと7.5センチのハイヒールで行ってしまったことが唯一の後悔・・・)
視察最終日は、雲仙の普賢岳のふもとにある、災害記念館を巡りました。
雲仙普賢岳の大火砕流のニュースは、わたしもテレビで観たのでよく覚えています。
ニュース報道でしょっちゅう聞いていた「水無川(みずなしがわ)」、普賢岳のふもとにあります。
火砕流だけではなく、堆積した火山灰が豪雨により流出する土石流の被害も酷いものでした。
↑普賢岳災害記念館の中の展示
ここは学校の空き教室を使っていて、鍵はかかっておらず、自由に見学できる資料館です。
管理はすぐ横の学校が行っているようです。
火砕流がすぐそこまで迫っているのに、学校の校庭にいる子供たちの写真や、避難所での暮らしなどの
写真が多数飾ってありました。
↑同じく、災害記念館の中の展示
熱でぐにゃぐにゃになってしまった時計。
↑火砕流によって破壊された旧大野木場小学校の校舎は資料として保存されています。
幸い、この小学校では死傷者は出ていないそうです。
直ぐ横に「大野木場砂防みらい館」があり、噴火や火砕流に関する資料展示が多数あります。
学芸員の女性にお話を聞けて、噴火当時の様子が良く分かりました。
この「みらい館」の、すぐ後ろに、普賢岳が見えます。
「こんなに大変な目に合って、またいつ普賢岳が爆発するかわからないのに、それでもこの地に住み続けるのは、先祖が守ってきた土地だからでしょうね」
と学芸員の彼女は仰っていました。
今回の視察、行く先々で悲しいお話を聞きました。
けれども、それにめげず明るく暮らす地元の方々の笑顔が印象的でした。
浦安にも3.11で発生した液状化、沢山の方が不便を強いられました。幸い浦安市ではこの地震で亡くなった方はいないのですが、3.11よりもっと大きい規模の地震が起こったとき、また、近年心配視されている富士山が噴火した時・・・
防災への準備と、心構えは、被害を最低限に食い止める事が出来る鍵だと思います。
いつ何時起こるかわからない災害に、今後も万全に備えていかなくてはならないと強く思いました。
おまけ
↑唯一食べた、土地のものっぽいもの
「長崎皿うどん」・・・見た目がよろしくないのは
撮影者のウデが悪いからです・・・ 店によって味が全然違うらしいですね^^
毎田 潤子