ごめんね。すごく長いので、分けて書きます。
興味ある人は、ゆっくり読んでね。
まあ、わたしも書き始めて、まだ着地点見えないけど(笑)

集団的自衛権のことや改憲問題、原発のこと、テレビのニュースは見ないけど
ネットでは色々な考え、意見、などがあり、日々それなりに見ている。
日頃の発言、ブログ、facebookでも、それらのことに関する記事を書いたり、シェアしたりする。

わたしは一応、スピリチュアルなお仕事と言われるジャンルで仕事をしている。

時として、この業界(?)の人たちは、精神世界や宇宙や見えない世界のことは語るけど
現実の世界のことからは浮世離れしていたりする。

しかしながら、今わたし達が肉体を持って生きている3次元の話は、避けて通ることは出来ない。

毎日空気を吸って、ご飯を食べて、働いて、何らかの消費をし、社会と関わっている。
そしてやがては、事故か病気か老衰で死ぬ。(もしかしたら、ここに戦争で死ぬ、が入るかも知れない)

この3次元で動いている政治や経済に無関心、という訳にはいかない。

いや、無関心でもいいけど、政治や経済に無縁では生きていけない、
政治経済によって殺されてしまうこともある。


15歳春
「自由と創造」を掲げる大阪府立高校に入学。
それまでの自由のない灰色の中学生活から開放され、その高校の自由な校風にわたしは弾けたと思う。

時は、70年安保闘争のまっただ中。
その10年前には60年安保闘争があった。

日米安保条約のことをちょっと説明する。
(難しくないから読んでね)
1951年に吉田茂が日本とアメリカの間の安全保障条約に署名して
戦後駐留していたアメリカ軍は在日米軍となった。

1960年自民党岸信介(安倍のおじいちゃんだぜ!)内閣により
日米間で新安保条約が結ばれた。

これは、日本に米軍がずーっと居て、日本を守る。
どっかから攻めてきたら米軍と自衛隊が一緒に戦う。
米軍基地がどっかから攻撃されたら、日本の自衛隊も一緒に戦ってね。
という内容だった。

まだ第二次世界大戦終結から日が浅く、人々の「戦争」に対する拒否感が強かったことや、
東條内閣の閣僚であった岸本人への反感があったことも影響し、
「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの(※在日米兵犯罪免責特権への批判もあり)」として、多くの市民が反対した。
(今の安倍と同じ状況)

安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。
(これも同じになればいいんだけど、今度は失敗しないぞと、色々周到にやってるよ)


この時の安保条約に反対して、市民運動から学生運動に発展し、とにかく大騒動になって
世の中は大混乱だった(らしい)。
これが、60年安保。