今日のお話は、賛否両論有ると思うし、読んでいやな気持ちになる人も居るかも知れません。
しかし、このところずっと考えていた事なので書きますね。
セッションに来られる方や、出会う方とお話ししていると
ヒーラーやセラピストになりたい、という方は最近多いですね。
そして、なぜなりたいか?という事をお聞きすると
「人の役に立つ仕事をしたい」
「人に喜んでもらいたい」
という風におっしゃる方が大変多いのです。
しかし、これがくせ者、とわたしは思っています。
どんな仕事をしていても、人の役に立つだろうし、人に喜んでもらう事は出来ます。
もっと言えば、仕事じゃなくても役に立つ事、喜んでもらう事は出来るのです。
役に立ちたい、喜んでもらいたい、
わたしは、この言葉の裏に潜んでいる「エゴ」を感じるのです。
役に立つ事によって、喜んでもらう事をする事によって、
自分を受け入れてもらいたい
認めて欲しい、褒めて欲しい。
そんな気持ちがその奥にあるように思える事があります。
~したい。
~してもらいたい。
~して欲しい。
これは全部、欲、に絡む言葉です。
若い頃に好きな人が居ました。
ホントに死ぬほど好きで好きでたまらなかったのですが、
結局片思いで、その人にすごくすてきな彼女が出来た時に、
その人が幸せそうにしていたので、わたしはそれを良かったと思いました。
というか思う事にしたのかも知れません。
そこに至るまでは、すごく心の葛藤があったのですが、
ホントに好きな人だったら、その人の幸せを喜ぶ、という選択をしたのです。
それを友人に話すと、
好きな人は手に入れたいと思うのが当然で、
そんな風に思うなんて、ホントに好きじゃないんだよ、
と言われました。
でもわたしは、自分の好きな人が機嫌良く幸せに生きていてくれるのなら、
わたしのものになるかどうかはどうでもいいと思いました。
そう思うと、じぶんもずっとその人を好きで幸せな気持ちで居られたからです。
周りの女友達は、好かれるためにその人好みに自分を変えたり
趣味じゃない服を着たり、好きじゃない髪型にしたり、一生懸命でした。
それは好かれたくてやっていた事ですから、それはそれでかわいいと思います。
今思うと、好かれる事が受け入れてもらう事、認めてもらう事、そういう事に
つながっていたのだろうと思います。
その事にわたしは違和感を感じていたのですね。
心のどこかに、褒めてもらいたい、認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、
という気持ちがあってする事は、わたしにはどこか嘘くさく感じられるし
自分自身は、若い頃からいろんな事に対しての自分の態度に
それがないのか?と言う事を、いつも問いかけてきた気がします。
それは、わたしの生まれついた星や性格のせいでもありますが、
そのために一時期、とても生きにくかったのも確かです。
以前にも書いた事があると思うのですが、
ある時の瞑想で、
「何かのために何かしてはいけない」
という気づきがありました。
以来それはわたしの座右の銘のようになっています。
お金のために働く、好かれるために行動する、などなど
なにかにつけそういう意識で動きがちです。
いつも自分の心の中を見つめ、チェックして、
自分の中にそういう気持ちを見つけるとすぐに修正するようにしています。
では、「何かのために何かする」のではなかったら、
どういう行動になるのでしょうか?
それはしばらく
「何かのために何かをする」のをやめて、その結果どうなるのかを
体験してみて下さい。
しかし、このところずっと考えていた事なので書きますね。
セッションに来られる方や、出会う方とお話ししていると
ヒーラーやセラピストになりたい、という方は最近多いですね。
そして、なぜなりたいか?という事をお聞きすると
「人の役に立つ仕事をしたい」
「人に喜んでもらいたい」
という風におっしゃる方が大変多いのです。
しかし、これがくせ者、とわたしは思っています。
どんな仕事をしていても、人の役に立つだろうし、人に喜んでもらう事は出来ます。
もっと言えば、仕事じゃなくても役に立つ事、喜んでもらう事は出来るのです。
役に立ちたい、喜んでもらいたい、
わたしは、この言葉の裏に潜んでいる「エゴ」を感じるのです。
役に立つ事によって、喜んでもらう事をする事によって、
自分を受け入れてもらいたい
認めて欲しい、褒めて欲しい。
そんな気持ちがその奥にあるように思える事があります。
~したい。
~してもらいたい。
~して欲しい。
これは全部、欲、に絡む言葉です。
若い頃に好きな人が居ました。
ホントに死ぬほど好きで好きでたまらなかったのですが、
結局片思いで、その人にすごくすてきな彼女が出来た時に、
その人が幸せそうにしていたので、わたしはそれを良かったと思いました。
というか思う事にしたのかも知れません。
そこに至るまでは、すごく心の葛藤があったのですが、
ホントに好きな人だったら、その人の幸せを喜ぶ、という選択をしたのです。
それを友人に話すと、
好きな人は手に入れたいと思うのが当然で、
そんな風に思うなんて、ホントに好きじゃないんだよ、
と言われました。
でもわたしは、自分の好きな人が機嫌良く幸せに生きていてくれるのなら、
わたしのものになるかどうかはどうでもいいと思いました。
そう思うと、じぶんもずっとその人を好きで幸せな気持ちで居られたからです。
周りの女友達は、好かれるためにその人好みに自分を変えたり
趣味じゃない服を着たり、好きじゃない髪型にしたり、一生懸命でした。
それは好かれたくてやっていた事ですから、それはそれでかわいいと思います。
今思うと、好かれる事が受け入れてもらう事、認めてもらう事、そういう事に
つながっていたのだろうと思います。
その事にわたしは違和感を感じていたのですね。
心のどこかに、褒めてもらいたい、認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、
という気持ちがあってする事は、わたしにはどこか嘘くさく感じられるし
自分自身は、若い頃からいろんな事に対しての自分の態度に
それがないのか?と言う事を、いつも問いかけてきた気がします。
それは、わたしの生まれついた星や性格のせいでもありますが、
そのために一時期、とても生きにくかったのも確かです。
以前にも書いた事があると思うのですが、
ある時の瞑想で、
「何かのために何かしてはいけない」
という気づきがありました。
以来それはわたしの座右の銘のようになっています。
お金のために働く、好かれるために行動する、などなど
なにかにつけそういう意識で動きがちです。
いつも自分の心の中を見つめ、チェックして、
自分の中にそういう気持ちを見つけるとすぐに修正するようにしています。
では、「何かのために何かする」のではなかったら、
どういう行動になるのでしょうか?
それはしばらく
「何かのために何かをする」のをやめて、その結果どうなるのかを
体験してみて下さい。