孫二郎のここだけ話 【十津川哀史】 | キャンプ場ナイショの話、ホントの話

孫二郎のここだけ話 【十津川哀史】

孫二郎です 道



奈良県最南部に位置する

十津川村 は

三重県と和歌山県に隣接する

日本一広い村として 知られています


神武天皇東征上陸の折

道案内をした 八咫烏を旗印とし

尊王を貫いてきています

歴史上の数々の戦いにおいても

常に天皇方に組し 税の減免や

十津川郷士 として 世に知られています


明治二十二年 紀伊半島を襲った大水害は

熊野川中州に位置する 熊野本宮大社をも

呑み込み 各地に甚大な被害を及ぼしましたが

上流の十津川村も 多くの家を流出し

村民は 移住を余儀なくされてしまいました


熊野古道小辺路は 本宮大社から高野山へと続き

途中 果無山脈(はてなし)の山塊を越える

厳しい道のりです

移住を余儀なくされた 十津川村民は

600戸2600人に及び

当時蝦夷と呼ばれた 北海道へと向かいました

移住先は 現在の新十津川町です


故郷を離れる村人は 果無山脈伯母子峠で

もう二度と帰ることのない 古里十津川村を

何度も振り返り 涙したということです