わがマチの可能性 | 山形の達人presents人生は旅である 最上町より

わがマチの可能性



わがモガミマチは

馬とのかかわりがとても強く、

歴史を紐解けば、

オモシロイ馬バナシがつながっています。

義経が馬の技術を学んだのは

わたしたちが住んでいる同じ東北の奥羽山脈だし、

赤倉温泉のスタートは

川原の温泉で馬を洗っていた農民に慈覚大師が勧めた、

という起源があります。



江戸時代には

松尾芭蕉が「蚤虱 馬の尿する 枕もと」と俳句を遺していってくれたし、

上杉鷹山が米沢藩を立て直すときもわが小国郷(当時のモガミマチの名称)の

「小国駒」を使ったし、

ここの馬が1709年には徳川将軍家に献上されてるほど

クオリティが高かったことも分かります。


文明開化の外国の大きな馬に文明開化のショックを受けつつも

見事 繁殖に成功させた明治のモガミの先人たち。

1930年には東北でもっとも平均価格の高い馬を排出していたのがこのマチでした。

山形で唯一の馬の市場がこのマチにあったのです。

その9年後、1939年

黒澤明が助監督時代に「馬」という映画のメガホンをこのマチでとったことも

わたしたちのプライドです。



こうしたプライドを未来につなげていくのは

わたしたちの世代なのです。

運よく 1995年に馬に初めて乗ったときは、

今度NHKで放映される「天地人」の時代に

このマチで馬方をやっていた末裔に

様々手ほどきを受けました。


それが学校の教材になる!と確信し、

試行錯誤しながら 去年の文部科学省のオスミをつけてもらうまで

12年かかりました。



観光資源というよりも教育資源としての価値が

馬には大いにある、

そこにわがマチの可能性も見つけ出しているというワケなのです。