ポックリ死ぬことは良いことか ? | 哲人クニちゃんのブログ

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有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず


あさきゆめみしゑひもせす

11月 14日 の満月は

私の住んでいるところは

雨ふりで

「 スーパームーン 」 は見られませんでした。


15日 は雲が少しありましたが

満月より少し欠けた

きれいな月が見られました。


今回も あるウェブページに載っている

記事の紹介です。

「 このメッセージは、

準備のできた人に届くようプログラムされてあります。 」 


と記されているので

ウェブサイト全体は

今は示さないでおきます。



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ポックリ死ぬことは良いことか ?


世の人々は、ポックリ死ぬことを願っております。 

苦しまず一瞬のうちに死ねたら、

こんな幸せな死に方はないからです。

でもポックリ死ぬことは、

本当に良いことなのでしょうか ?


ぽっくり




世間では、ガン宣告することを避けています。

特に末期のガン患者に対しては、

その傾向が強いようです。

今の医学ではガンは死を意味するので、

宣告された途端絶望し

生きる気力を失ってしまうからでしょうが、

でも良く考えてみて下さい  !。

死が刻々と近づいているというのに、

何の準備も何の学びもさせず過ごさせることが、

本当に本人のためになっているでしょうか ?。

ガン患者は、最後の学びをしようとしているのですよ !。


ガンで死ぬ人は、

死ぬまで相当の時間が与えられます。

ガン宣告はショックかもしれませんが、

宣告されることで本人は、

きっと人生の思索をするはずです。


○ 死とは何か ?

○ 人は死んだらどうなるのか ?

○ 人生とは一体何だったのか ?、など ・・・。


この思索は魂を大きく飛躍させます。

自殺や横死が犬死だといわれるのは、

ポックリ死んでは何の学びもできないからです。

その意味では、

死刑執行まで時間が与えられている死刑囚は、

少なからず学んで帰っているはずです。

死刑囚とガン患者を一緒にするのは

不謹慎かもしれませんが、

思索の時間が与えられている点では

同じだと思います。

だから私は、

死ぬまで時間の与えられているガンに対して

" ありがとう ! " といいたいのです。

( 死ぬまで時間の与えられている他の病気も同じです。 )


本当にその人を愛するなら、

苦しみを避けて通してはなりません。

非情な言い方ですが、これは愛するが故と思ってください。

とはいっても、

青い果実を強引にもぎ取るようなことはしてはなりません。

つまりガンを宣告するにしても、

魂の成長がどれほどか? 

本人の心情がどのような状態か ? 

さらに良くよく機会を伺い、

適切な判断を持ってやることです。

もし魂が幼すぎて、

宣告が耐えられないようなら避けるべきでしょう。


苦しんでいるのは、当人だけではありません。

肉親も一緒に苦しんでいるのです。

その苦しみを苦しみで終わらせないためにも、

病気から学んでください。

人間は近視眼的モノの見方しかできないため、

事の真意が把握できないでおりますが、

神の意図は苦しみの中に隠されているのです。

どうか苦しみの中に隠されている真意を把握してください。

そうすれば、

苦しみや悲しみの意味が納得して受け入れられるでしょう。


本当は、苦しまず死を迎える方が良いに決まっています。

でも幼い魂の多い今の地球では、

死の苦しみは必要なのです。

その意味において死は、

地球人類の成長につれ、

静かに、穏やかに、ポックリと、

迎えられるようになるでしょう。


2011年3月22日更新



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病気や死といったものは

この世では避けることができません。


そうであれば

病気や死に込められた

神の意図を考えて

隠されている真意の

把握に努めたいですね。



ペタしてね


菜園の一角に咲いている

キクの花です。


キク1116



庭の隅に

マンリョウの赤い実が

なっています。


マンリョウ



母親が菜園に植えたキクナが

だいぶ大きくなってきました。



キクナ




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