私の住んでいるところは
雨ふりで
「 スーパームーン 」 は見られませんでした。
15日 は雲が少しありましたが
満月より少し欠けた
きれいな月が見られました。
今回も あるウェブページに載っている
記事の紹介です。
「 このメッセージは、
準備のできた人に届くようプログラムされてあります。 」
と記されているので
ウェブサイト全体は
今は示さないでおきます。
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ポックリ死ぬことは良いことか ?
世の人々は、ポックリ死ぬことを願っております。
苦しまず一瞬のうちに死ねたら、
こんな幸せな死に方はないからです。
でもポックリ死ぬことは、
本当に良いことなのでしょうか ?
世間では、ガン宣告することを避けています。
特に末期のガン患者に対しては、
その傾向が強いようです。
今の医学ではガンは死を意味するので、
宣告された途端絶望し
生きる気力を失ってしまうからでしょうが、
でも良く考えてみて下さい !。
死が刻々と近づいているというのに、
何の準備も何の学びもさせず過ごさせることが、
本当に本人のためになっているでしょうか ?。
ガン患者は、最後の学びをしようとしているのですよ !。
ガンで死ぬ人は、
死ぬまで相当の時間が与えられます。
ガン宣告はショックかもしれませんが、
宣告されることで本人は、
きっと人生の思索をするはずです。
○ 死とは何か ?
○ 人は死んだらどうなるのか ?
○ 人生とは一体何だったのか ?、など ・・・。
この思索は魂を大きく飛躍させます。
自殺や横死が犬死だといわれるのは、
ポックリ死んでは何の学びもできないからです。
その意味では、
死刑執行まで時間が与えられている死刑囚は、
少なからず学んで帰っているはずです。
死刑囚とガン患者を一緒にするのは
不謹慎かもしれませんが、
思索の時間が与えられている点では
同じだと思います。
だから私は、
死ぬまで時間の与えられているガンに対して
" ありがとう ! " といいたいのです。
( 死ぬまで時間の与えられている他の病気も同じです。 )
本当にその人を愛するなら、
苦しみを避けて通してはなりません。
非情な言い方ですが、これは愛するが故と思ってください。
とはいっても、
青い果実を強引にもぎ取るようなことはしてはなりません。
つまりガンを宣告するにしても、
魂の成長がどれほどか?
本人の心情がどのような状態か ?
さらに良くよく機会を伺い、
適切な判断を持ってやることです。
もし魂が幼すぎて、
宣告が耐えられないようなら避けるべきでしょう。
苦しんでいるのは、当人だけではありません。
肉親も一緒に苦しんでいるのです。
その苦しみを苦しみで終わらせないためにも、
病気から学んでください。
人間は近視眼的モノの見方しかできないため、
事の真意が把握できないでおりますが、
神の意図は苦しみの中に隠されているのです。
どうか苦しみの中に隠されている真意を把握してください。
そうすれば、
苦しみや悲しみの意味が納得して受け入れられるでしょう。
本当は、苦しまず死を迎える方が良いに決まっています。
でも幼い魂の多い今の地球では、
死の苦しみは必要なのです。
その意味において死は、
地球人類の成長につれ、
静かに、穏やかに、ポックリと、
迎えられるようになるでしょう。
2011年3月22日更新
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病気や死といったものは
この世では避けることができません。
そうであれば
病気や死に込められた
神の意図を考えて
隠されている真意の
把握に努めたいですね。
菜園の一角に咲いている
キクの花です。
庭の隅に
マンリョウの赤い実が
なっています。
母親が菜園に植えたキクナが
だいぶ大きくなってきました。