◆コーエン兄弟が描く’50年代ハリウッドの舞台裏◆

 

現在公開中の「ヘイル、シーザー!」。コーエン兄弟の最新作です。

予告編で水兵のダンスシーンを観て、これは観なきゃ!と楽しみにしていた作品。(「水兵」には時としてこんな意味もあったりするので油断できません・・・)

先週の日曜日に観たんですが・・・この季節は一週間があっという間です。

 

この映画の舞台は、’50年代のハリウッド映画界。

主人公のエディ・マニックス(ジョシュ・ブローリン)は、大手映画会社・キャピトル映画のトラブル解決専門の重鎮スタッフ。

売れっ子スターたちのスキャンダル揉み消し役としてハリウッドになくてはならない影の存在ですが、彼の手腕に目をつけたロッキード社からヘッド・ハンティングの話もあり、わがままな俳優や女優に振り回される今の仕事よりも楽に稼げる転職話に心が揺らいでいます。

そんな時、撮影中の「ヘイル、シーザー!」の主役であるベアード・ウィットロック(ジョージ・クルーニー)がエキストラとしてスタジオに潜入していた共産主義者に誘拐されるという事件が起き―――

 

今年日本でも公開された「ブリッジ・オブ・スパイ」もコーエン兄弟が脚本を手掛けた作品でしたが、笑いは控えめだった「ブリッジ~」と違って、今作はコメディ・テイスト。

といっても、劇場で笑い声が上がったシーンはほぼ皆無だった気がします。

滑ってる?というよりも、コーエン兄弟の作品の笑いは、本来こういうものなのかもしれません。古典的な笑いの様式美をさらりと楽しむ感じ・・・って、やっぱり滑ってるってことですかね?滝汗

 

◆「バートン・フィンク」での映画会社社長批判の軌道修正?◆

 

ところで、コーエン兄弟は25年前にも「バートン・フィンク(Barton Fink)」(1991年)でハリウッド映画界を描いているんですよね。

劇中で登場する映画会社の名前も同じ「キャピトル・ピクチャーズ」ですし、四半世紀を隔てているとは言え、この2作は関連作品と位置づけることができるんじゃないでしょうか。

 

 

「バートン・フィンク」の主人公バートン(ジョン・タトゥーロ)はユダヤ人の脚本家。つまり、やはりユダヤ人である兄弟の分身とも言える存在です。

一見不可解でその分意味深、人によって解釈が大きく分かれる作品ですが、少なくとも言えるのは、この作品ではハリウッド映画界の体質をかなりシニカルに描いているということ

ハリウッドで量産されるB級映画は「型通りに書けばいい」、ゴーストライターを使っている有名作家もいるし、映画会社の社長は脚本家を「芸術家」と持ちあげながらその実芸術なんて欠片も理解してない、だが彼は商売のためなら相手の靴底にキスすることさえ厭わない・・・この映画の中でハリウッドはそんな世界として描かれています。

庶民のための演劇を志すバートンは、そんなハリウッドという世界に違和感を感じているわけなんですが、その反面、社会派脚本家を気取るバートンに対しても、庶民のことなど上っ面しか理解していないと作者は言いたげ。

自身が身を置く映画業界に対してチクリと毒を含んだ内容であり、かつ脚本家でもある自らに対しても自嘲気味な描き方になっている気がします。

 

一方、今回の「へイル、シーザー!」は、主人公のマニックスはじめ、ハリウッドの華やかな表舞台で活躍するスターたちを支える裏方を肯定的に描いている印象

「へイル、シーザー!」は劇中で撮影中の映画のタイトル(この劇中劇のは恐らく「ベン・ハー」がモデルになっています。)で、その主人公はジョージ・クルーニー演じるシーザー。

何故この劇中劇のタイトルがこの映画のタイトルでもあるのかを考えてみるに、この映画自体が「シーザー万歳!」すなわち、「スター万歳!」のハリウッドを描いた作品だからではないでしょうか。

しかし、シーザーもキリストにひれ伏したように、スターがハリウッドの絶対者というわけではなく、それはあくまでも表向きのこと・・・と、この映画は仄めかしているように見えます。

では、ハリウッドの神とは一体だれなのか?

クライマックスで、共産主義者たちに拉致されている間にすっかり彼らに影響され、資本主義のハリウッドを批判し始めるベアードことジョージ・クルーニーを、マニックスが殴る場面があるんですが、その場面でのマニックスのセリフに「社長の悪口は許さない」といった内容の一言が。

「バートン・フィンク」ではキャピトル映画の社長を随分ディスったコーエン兄弟ですが、今作の中では社長を絶対の存在として描いているのが印象的です。

まるで「バートン・フィンク」でのハリウッド批判の贖罪のようにも・・・

そういえば、この映画で名前は出てくるのに姿が映らない人物が2人いて、その一人がシーザーもひれ伏すキリスト、そしてもう一人が、キャピトル映画の社長なのも、何か意味深ですよね。

 

勿論、今作でもハリウッドの裏の顔は描かれてはいます。

人魚役が似合う美人女優(スカーレット・ヨハンソン)が、素顔ではとんだビッチだったり、彼女の隠し子スキャンダルをもみ消すために裏方が奔走したり、時には犯罪を犯したスターの代わりに服役する役目を引き受ける人間まで・・・ただ、そんな一面を描きつつも最終的にはハリウッドという世界を肯定しているところが、「バートン・フィンク」との大きな違いです。

 

そういう意味で、「バートン~」と比べるとこの四半世紀でコーエン兄弟のハリウッド観は随分角がとれたのかなと

それに比例して、と言うべきなのか、今作のほうが圧倒的に華やかで、分かりやすく、エンターテインメントとしても進化している気がします。

まあ、コーエン兄弟と言えばハリウッドのど真ん中にいる押しも押されぬ大監督で、今となっては彼らがハリウッドを批判することのほうが妙だし、今作はあれから四半世紀を経てハリウッドの重鎮に昇りつめた彼らの、ハリウッド人としての矜持を描いたというところでしょうか。

 

レッド・パージの時代の話ということで共産主義者が登場するものの、あまり思想的な掘り下げはないし、あくまでも時代の空気の一部として描かれるに留まっている気がします。

 

◆水兵は伏線◆

 

劇中のハリウッドを華やかに盛り上げる豪華キャストは、なんといっても本作の見どころ

中でも強烈なインパクトを残したのが、西部劇俳優でアクロバット演技が得意技、実は訛りがきつくてセリフの多い役は全くダメなボビー・ドイル役のアルデン・エーレンライク。

私はこの作品で初めて観たんですが、田舎っぺ俳優役なのにオーラがあって素敵でしたね。

双子の芸能記者役のティルダ・スウィントンは、お高くとまった女の必需アイテム・大きな鳥の羽がついた帽子が似合う! この方、嫌な女役もハマります。

ジョージ・クルーニーはもう地でハリウッド・スターだし・・・主演のジョシュ・ブローリンよりもジョージ・クルーニーが目立ってしまうのは、もちろん計算のうちなんでしょう。

 

ただ、個人的には予告から目を付けていたチャニング・テイタムがセンターを務める水兵のダンスシーンに釘付け!

水兵だけに何か含みがあるのかな・・・と思ってましたが、やはり!!オチへの重要な伏線になっていました。

 

それにしてもチャニング・テイタムは華がありますね。

ほぼ アラフォー?なのに、セーラー服が似合う似合う・・・アイドル顔負けのキメ顔には笑ってしまいましたが、それもまたチャーミングに見えました。

 

◆バートン・フィンクは何処へ?◆

 

25年前、NYの劇作家から映画の脚本家に転身すべくハリウッドに足を踏み入れたバートン・フィンクは、今はどうしているんでしょうか?

庶民の生活を描きたかった社会派作家の彼は、ハリウッドではその夢を実現できないとロスを去ったのか、それとも、コーエン兄弟のように今やハリウッドの重鎮としてハリウッド・システムの一部になりきっているのか・・・フィンクのその後が描かれなかったことも、コーエン兄弟のハリウッド観の変遷のひとつの答えなのかもしれません。

 

(ポスターはYAHOO!映画サイト・IMDbに掲載されているものです。) 

 

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