本日はこのブログ開設のきっかけとなった沢田泰司の命日。

今回は一気に2010~2011年をまとめていきます。

そして2010年、ようやくTAIJI with Heaven'sとTSPが動き出した。
泰司が「(プロジェクトの中で)一番Xに近い」と形容したヘヴンスはともかく、
TSPについては「クラナイはどうした?」の一言で済ませたくなる気持ちが大きかった。

先にも書いたが、割と明るい曲の多いクラナイでは
"HELLS RAGE"は毛色の違う曲になっていたのも事実だ。
そうした変化を手っ取り早く表現するためには
新しくバンドを立ち上げるのが一番だったという事だろう。

樋口宗孝追悼ライブ Vol1購入。
泰司以外のゲストも豪華で、見ごたえがあった。

日産スタジアムでのゲスト参加については、
別段どうこう言う程の感想は持ち合わせていない。
ただ、「Be Free!!」のトップページに「サイト開設以来の夢がかなった」
というカイコさんのメッセージがあったことと、
朝の情報番組で流れた時、司会者(年齢的には直撃世代)の反応が
「こんな人いたっけ?」的な反応だった事だけは覚えている。
不特定多数の人間が見る朝の番組で
いかに沢田泰司の知名度が低下しているかをまざまざと見せられた。

樋口宗孝追悼ライヴ第二弾。

この頃の泰司のライヴ映像を見ると、呂律が回っていないというか、
滑舌が悪いと言うか、言葉が聞き取りにくい。
高田馬場のライヴで飲酒していると疑われたのも、
この発音の問題が大きいと思われる。

RYUTAROのHEAVEN'S脱退

外野の立場では特別語る情報もないので、少しだけ。
震災など、色々な事情が重なったとはいえ
HEAVENSはRYUTARO脱退後ライヴをしていなかった事は事実だ。
彼の脱退もひとつの分岐点だったのだろう。

3.11
泰司がブログで詞を掲載して随分叩かれた。
当時のネット世相は自粛ムードが非常に強く、
二井原実も「こんな時に誕生日ライヴやってるんじゃねえ」と叩かれた。

そうした世相の中、マシンガンズはThe冠と回ったツアーで募金を募り、
陰陽座はツアーを中止した。

どちらが間違っているわけでもないが、
泰司のサイパン行きは「原発事故で混乱している日本から逃げ出した」
と思われても仕方のない状況で行われた。

これより先は一年前の記事で書いているので、ここまでにとどめておきたい。

当時、泰司の追悼コメントを表明した人物(俺が確認できた分)は、

X JAPANの現メンバー全員、LOUDNESSからあんぱん以外の3人、D.T.Rのメンバー全員、TSPのメンバー(当時)全員、
本来ならテレビで共演した様子がオンエアされるはずだった真矢(LUNA SEA)、
RYUTARO(元Taiji with Heaven's)、DAI(Taiji with Heavens)、
Furani(音風)、GEN(音風)、GON(音風)、
映画やTKRAに携わったD.Tommy、ベテランスタジオミュージシャンのそうる透、
KINGSで共演した宮脇“JOE”知史(44 MAGNUM)、木根尚登(元TM Network)、
甲斐“KAI”貴之(Earthshaker)、2年連続で樋口宗孝追悼ライブに参加したshuji(Janne Da Arc)、
樋口宗孝追悼ライブなどで共演したRAY(8-BALL)、
沢田泰司最後のライヴの対バン相手でもあったSyu(GALNERYUS,SPINALCORD)

追記

本日、Deep Purpleのオリジナル・メンバーであるジョン・ロードの訃報が報じられました。
ご冥福をお祈りします。