どうして、こんなことになってしまったのだろう。

今年の6月、LOUDNESSがニコニコ生放送でUSツアーの模様を生中継していた時に
「TAIJIは何やってるの?」とコメントした人がいたのを覚えています。
その時は泰司がこんな最期を迎えようとは全く予想がつきませんでした。

僕がここ数年の泰司の活動に疑問と不信感を抱いていたのは事実です。

D.T.Rは大きな活動をしないまま解散してしまうし、
かつてのYOSHIKIのように「やります」と言ってはいるが、
やることなす事が何もかも中途半端のまま投げだすという印象が
強くなっていました。

おまけに泰司抜きでD.T.Rのメンバーが集まって
メガトンクラブでD.T.Rの曲を演奏している。
そうした情報を目にすると泰司が疫病神にすら思えます。

それでも、僕は泰司を追い続けてきた。
X,LOUDNESS,D.T.R、そしてリアルタイムで追い始めた
初期Cloud Nineの印象が強かったからでしょう。

僕にとって泰司は日本一のベーシストだったからです。
ロックという物が良く分かっていないガキにでも
分かる凄さを彼は持っていたからです。

何よりただそこにいるだけで存在感を示す事が出来る
日本人ロックベーシストとしては稀有な存在でした。

そして、泰司は堅実志向な日本人には珍しく、破滅型のロッカーでした。
昔のロックスターのように「いつあの世へ行ってもおかしくない」
と感じさせる危うさを持っていたと思っています。

そのような生きざまが、高崎晃をして「最後までロックを貫きとおした」
と言わせる理由なのでしょう。

僕が沢田泰司から受けた影響とは何か考えてみると、
そもそも僕がヘヴィメタルの世界に入り込んでしまったのは
泰司の影響でした。

泰司を知ってLOUDNESSを聴き、D.T.Rを聴き、
アンセムやその他海外のメジャーどころを
それなりに聴くようになったのです。
「私の人生を変えた10人」を選ぶとすれば確実に入ります。

何度でも不死鳥のように蘇りロックを演奏する。
そんな泰司のイメージを抱いていた人は少なくなかったでしょう。
僕もそうした泰司の姿に勇気づけられた事がありました。
それももうお終いです。

まとまりのない文章で申し訳ない。
最後に一言。ありがとう、沢田泰司。