長岡駅に着いて、観光案内所でもらった地図をみると、駅の
あたりの地名が「城内」となっていて、あれ?と思いました。

一般に、城内とは、文字通りのお城の中であり、日本全国あち
こちにある、ごく一般的な地名です。公官庁や学校などの地名を
調べるとたくさん出てきますから、おなじみの方も多いでしょう。

その城内に駅があるというのは、他の場所ではほとんど見られ
ない珍しいことでしたので、不思議に思ったのです。

そこで、駅の外に出て周囲を見回してみると、さらに一層不思議
なことに、石垣らしい石がひとつも見当たりません。

地図を眺めて、駅の近くにそれらしいところはないのかと思う
と、駅前大通りを少し下ったところに長岡城址があるというので
歩いていきました。

すると、やはり石垣もなにもない長岡市の厚生会館前に碑が立っ
ているだけでした。

「長岡城は元和三年堀直寄により築城され、翌四年堀氏の後に
入封した牧野氏歴代二百五十年間治政した居城で、おびき形兜
城又浮島城と呼ばれた。明治戊辰の役に落城、後一度は奪回して
長岡武士の気を吐いたが消失し、明治に入り廃城、今は跡形も
ないが現長岡駅を中心に本丸があり、二の丸はこの碑の所に
あった。」

と刻まれている。

つまり、他の場所でよく城内と付けられている二の丸、三の丸は
ここ長岡では本丸を指し、長岡城本丸は現在の長岡駅の場所
だったということになります。

同じ幕府方についた会津若松と比べても、城下町を感じさせる
ものはあまりなく、少し寂しい感じがしました。

有名な花火とともに、もう一度、歴史を感じさせる街づくりを
お願いしたいですね。

長岡城址.jpg


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