忘れてもいいことなのか結論を出せないままにノートは増える
私は今は大学の研究室で生物系の実験をしているのだけれど、
この、「研究室で実験する」という生活は、当然かもしれないけど、普段の生活と心構えが全然違う。
たとえば家で食器を洗うのなら、ちょっと汚れが残ったって、濡れていたってふきとればいい。
ところがそれが実験器具だったらそういうわけにはいかない。
汚れや水気が混ざると、実験が全部失敗してしまうことだってある。何日もかけた失敗が、洗いの悪さでパーになる。
手でさわってもいいかどうか、
どこまで正確に目盛りを見るか、
室温に置いたままでもいいかどうか、
……
ふだんの生活でどうでもいいことも、気にしないと大変で、慣れるまですごく疲れた。
一番なれるのに苦労をしたのは、実験のノートをとること。
今までのノートは、とにかく自分にわかるように書けばそれでいい。
わかっているのなら、書かなくたっていい。そんな楽ちんなものだった。
でも、「実験ノート」は「ふつうのノート」とまったく違う。
その日どんな実験をしたか、だけでなく、いつもと違うこと、観察されたこと、最終的にできたこと…
あとからそのノートをたどって、もう一度同じ結果が出るように書かなければいけない。
大切な条件を書き漏らしたら、二度と同じことが再現できない。
しかも再現する人は自分だとは限らないから、誰が読んでもわかるものを書く必要がある。
これが、とても難しい。私はまだ、ちゃんと書けるようにはなっていないと思う。
実験しているときは、先のことを考えていないと、何が必要な情報になるのかわからない=何をノートに残すべきかわからない。
でも、ちょっと忙しかったりするとすぐに書き漏らして、何日かして見返して、もう曖昧になっている。
これが、何日か、とか何ヶ月後、とかならまだいいのかもしれない。
研究室に私のノートはいつまでも残されるので、何年もたってから見返されることがありうるから困る。
(9年前のノートとか、探して読み返すのはふつうみたいだった)
書きすぎるとまた、「大事な情報がどこにあるかわかりにくい」と言われたりして、本当に難しい。
とはいえ、
私のノートが、つまりは自分のした記録がずっと残って
また誰かが発見してくれるかもしれないというのは、なんとなく、うれしい気もする。
私のしたことを、誰かが必要として探す、なんて
まだまだ先ではあるけど、そんな未来がきたらって想像して、少しこそばゆい。
この研究室はいわゆる「基礎研究」で、
「そんなことして、わたしたちにどんな利益があるんですか」とか言われるとすぐには答えられないようなことをしているから、
誰かの役に立つ、なんてすぐにわかるものじゃない。
いや、本当は、こんなに世の中が変わるんですよ!!っていう研究もハッピーなのかもしれないけれど、
まず私が目指すのは、誰かがノートを探してくれる、くらいの役に立ち方かな。