自宅マンションのエレベーターに
乗り合わせた住人と挨拶を交わした際に、
「お宅からは富士山が良く見えるでしょう?
私どもからはよく見えず、
ベランダから身体をひねってチラッと拝むだけですよ」
改めて、この部屋にいて幸せだなと
引っ越してきたばかりの時の
ベランダに出たときの驚きと
新鮮な気持に返った。
富士山の変化は見ていて飽きない。
浮世絵からも分かるように、
江戸時代には東京のどこにいても
富士山が見えたというから驚く。
「毎日富士山を眺め、拝み、敬い」
日々の生活に勤しんだ。
無意識に感性が研ぎ澄まされていくような
あるいは、現実的な活力に満ちていくような
そんな気がする。
私も江戸時代の町人よろしく
富士山を拝みながら生活している。
なんとも贅沢な話ではないか。
ありがたき富士!
しかし、この話は無邪気に喜んで話すには
「注意が必要」とネットの情報で知った。
「家から富士山が見える」
とはもっとも嫌味に聞こえる「一言」なんだそうだ。
誤解のないよう、慌てて
「何もほかには取り柄のないマンションですが」
と、一言付け加えておくことにしよう。
ある日の夕暮れから
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