人はね、手放すことで強くなったり幸せになるんじゃないだろうかって最近思うんです。
人は知識や経験をもとに、観念や価値観を得ていくことによって自分を作り上げていき、それをアイデンティティ(自分が自分である証)とするわけです。
「自分は何者かになりたい」なんていう欲求がそうさせるのかもしれません。
でもそれって、時には人に否定されたり、その観念や価値観では人生が立ち行かなくなることが出てくる可能性があるんですよね。
自分が自分である証と思っていたものが崩れ去る恐怖。
それは自分という存在が否定されるとも言える事態かもしれません。
特に長い年月をかけて築き上げてきたモノならば余計にそう感じるでしょうね。
でも本当のところ、アイデンティティ=自分ではなくて、アイデンティティは“自分が持っているモノ”にすぎないんですよね。
自分=自分で、それ以上でもそれ以下でもないわけです。
だから、アイデンティティは生きていく上で有効な道具ではあると思うけど、それが使えない時が来たらポイッと捨てちゃえるぐらいが良いと思うんです。
道具にしがみついてたら、新しい幸せを受け取る両手がふさがっちゃいますもんね。
あ、ヤバイ・・・
良いこと言っちゃった(*´∀`)ここテストに出ま~す(笑)
ゴホン。
だからね、アイデンティティで身を固めることが強さや幸せを得られる方法なんじゃなくて、そういうものを手放せることが勇気だったり、手放すことで見えてくるモノが本当の幸せや真の強さを兼ね備えた本当の自分だったりするんじゃないかと思うんです。
「自分は何者かになりたい」ではなくて「自分は何者でもなくて良かったんだ」なんていう気付きかもしれません。
手放した分だけ幸せの種が自分にも世界に広がるんじゃないかな、きっと。
たんぽぽ:花言葉「真心の愛・神のお告げ・愛の神託・思わせぶり・別離」