黄昏のアーチスト | 大池田劇場(小説のブログです)

黄昏のアーチスト

     

           黄昏のアーチスト
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 その日も私は路傍でギターを弾いていた。
 冬の夜は寒い。私の曲は、もう感性が古くなってしまっ

たのか、立ち止まる人さえ居なかった。
 思えば私の人生は一体何だったのだろう。
 学校が嫌だと中退し、社会に出てからは歯車として生

きるのは嫌だと退社した。
 好きな歌さえ歌えればよいと一人で生きてきた。
 生活が不安定だから結婚も出来ず、子供も居ない。
 「何がミュージシャンだ。ただのおっさんじゃないか。」
 自分の老いさらばえた手を見てそうつぶやいた。
 借金、借金を繰り返し、もう電気も水道も止められて

いる。
 矢のような借金取りの催促から逃げたくて、このごろ

は路上に出ているようなものである。
 このままではギターを抱いた浮浪者になることだろう。
 「寒そうだな。歌も寒そうな曲だ。」
 気が付くと、黒い背広を着た、初老の男が私の前に立

って演奏を聴いていた。
 葬式の帰りだろうか?
 「こんなところで演奏していては寒さが応えるだろう?」
 大きなお世話である。
 「私のような貧乏アーチストに会場を貸してくれるよう

な所はないですよ。」
 背広の男は「そうだろう。」と笑った。
 失礼な奴である。
 男は微笑みながら、次におかしな情報を私に教えて

くれた。
 「では、お前を売り出す道を、私が教えてあげよう。こ

の地図に書かれたスナックへ今から行くのだ。」
 黒背広の男は小さな地図を見せた。
 「カウンターの隅に赤いセーターを着た若い男が居る

はずだ。ギターを持っている男だ。」
 妙にリアルである。何かのセールスだろうか?
 「その男に話しかけるのだ。きっとお前の望むものが手

にはいるはずだよ。」
 私が地図に目を取られていると、いつの間にかその男

は消えていた。
 地図に書かれたスナックは私も知っている店である。
 特に何も問題もない、五十歳くらいのおばさんが居る

安い店である。
 ママはこんな客引きをする人ではない。
 「からかわれたのか?」
 そう思ったがその店に行ってみることにした。
 果たして赤い服を着た青年が居た。
 話しかけてみると伊集院宗隆という九州出身の子だっ

た。
 黒背広の人は知らないと言う。そんな人はこの店に来

ていないらしかった。
 話をしてみると音楽関係者で、親の仕送りにより東京

で生活しているようである。
 いろいろと、これからの将来のことで悩んでいるよう

だったので、聞いてあげた。
 素直な子で、この町では孤独だったのだろう。
 初対面の私にもうち解けて話をしてくれた。
 「ボクはこれから田舎に帰ろうと思うのです。ミュージ

シャンになろうとしたけど、自分には才能がないとわか

って・・。」
 宗隆は田舎に帰って父親の家業を継ぐという。
 「それで、ボクにはもう必要のないものなので、よけれ

ばおじさんにあげます。曲が気に入ったら演奏してくだ

さい。」
 宗隆は楽譜の束を椅子の上に置いていった。
 だいたいは、アーチスト気取りの若い子が書いた物は、

使い物にならないものが多い。
 特に欲しいとも思わなかったが、受け取っておくことに

した。
 彼を偲んで路傍で歌ってみるのも悪くない。
 「元気でな、私のようになってはいけないよ。」
 その青年は、何度も名残惜しそうに手を振って、夜の

町へと消えていった。
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 「なんということだ。」
 持って帰った楽譜を見て驚嘆した。
 「天才だ!すごいものをもらってしまった。」
 自分のキャリアなどこの子の足元にも及ばないものだ。
 きっと大ヒットは間違いない。
 宗隆は自分の売り出し方を知らないので、野に埋もれ

ていたのである。
 ツテを通じて知り合いの音楽関係者の社長に一部を

見せてみた。
 「すばらしい!こんな曲があるのか。君が作ったのか?

今までとは全然違うじゃないか。」
 ぜひ、うちからデビューしてほしいという。
 私は返事を曖昧にして帰った。
 それから何度も携帯に電話がかかってくる。
 よその事務所に私を取られたく無くないのだろう。
 どうしたものか部屋で悩んでいると、どこからか一匹の

蝿が飛んできた。
 叩き殺そうと思っていたら、その蝿は椅子に止まり、煙

と共に黒背広の男に変身した。
 「久しぶりだな。実は私の名はベルゼバブというのだ。

魔界ではサタンの次の実力者と言われている者だよ。」
 腰を抜かすばかりに驚いた。
 あの不思議な男は悪魔だったのだ。
 「どうだ、私の言うとおりにしたら運が向いてきただろ

う。」
 あまりにも話が出来すぎていると思っていた。
 悪魔は私に何かを要求するつもりなのだろう。
 「私は悪魔だが、私の言うことを聞いたからといって、

お前が不幸になるということはないのだ。」
 そう言ってベルゼバブは安心させた。
 「じゃあ、何が目的なのだ。」
 見返りなしで悪魔がこんなことをするとは思えなかっ

た。
 うまい話には裏があると、自分の人生の経験から、こ

の男からは信用できないものを感じ取っていた。
 「お前が不幸にならないと言ったのだ。この曲が巷に

流れたら、あの人の良い青年が悲観して自殺すること

になっているのだよ。」
 いつかこの曲を聴いた青年は、騙されたと思い、憤り

を覚えるだろう。
 それだけなら良いが、おとなしい性格であるから、自

分の人生に悲観して命を絶ってしまうのだ。
 「あの若い子を犠牲にして、自分さえ幸せに成ればよ

いと言うのか?」
 ベルゼバブは笑っていた。
 「そうとも、みんなそうやって生きているのだ。珍しい

ことではあるまい。」
 確かにそうだろう。珍しいことではない。
 人の不幸を足台にして飛躍する人は世の中にたくさ

ん居る。
 「そうしなければ、お前が借金取りに追われて死ぬこ

とになるだろう。」
 私の置かれている状況もせっぱ詰まっているのだ。
 鬼のような催促で心が折れそうである。
 断ったら私がいずれ死ぬことになる。
 どちらにしても悪魔は魂が取れるのである。
 ベルゼバブには損がない。
 私は一晩悩み抜いた末に、社長の門を叩くことにした。
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 ステージは大成功だった。
 武道館は満杯である。
 アーチストとしてこんな幸せなことはないだろう。
 熱狂する若者達、いつまでもアンコールの声は鳴りや

まない。
 これこそ私の待ち望んでいた世界だ。
 「ありがとうございます。これも後藤さんのおかげです

。」
 伊集院宗隆がステージから走ってきた。
 あれから私は社長の門を叩き、自分が作曲したもの

ではないと告げた。
 「どんなことをしてもその子を探してきます。それまで

待ってください。」
 あれから三年、人づてに聞いて、やっと自宅の農園で

働く彼を捜し出したのだ。
 それからは私は、彼をプロディースして世に送り出す、

裏方の仕事に終始した。
 今では彼は日本を代表する歌手である。
 たとえ自分でステージに立てなくても、夢は実現できた

のである。

  私は、華やかな舞台に立つことは一度もなかったが、

今はとても満足した気分でいる。
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 「ふん、世の中には人を陥れても、自分だけが栄光を掴

みたい奴ばかりなのに、お人好しなことだ。」
 会場となった武道館の、屋根を支える鉄骨の上に一匹

の蝿が止まっていた。
 ベルゼバブは忌々しそうにそう言い残すと、その場から

夜の闇へと飛んでいってしまった。



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