いろはにほへと

いろはにほへと

気まぐれ独り言

また更新が空いてしまった(;^_^A

『あっ!』という間に10月になり、半ばも過ぎてしまった↷

 

母が妹たちに

「仏壇を義弟(故父の末弟)にあげてグループホームに入ったら?(←提案ではなくほぼ強制)」

言われたと泣きが入ったのは2018年の10月だったように思う。その後Bきちが祖母宅から通う赴任地となり母のBきちの昼食用「おにぎり作り」が始まり日々充実したようで、グループホームの話は部屋の場所も良くない事も有り立ち消えに思えた。

 

程なくして また空きの連絡があったようで

「孫に祖母を看させる訳にいかない」

言い出した。その前にわたしは勤務先に介護のための転勤を打診していたので急いでいただき 母・娘・孫の共同生活が始まった。安心したため緊張感が薄れ認知機能の低下に伴う混乱が始まった。

 

なるべく会話と役割を心掛けた。火の扱いが危なくなってきたので私が夕食を作ったが、帰宅のバスの前に

「〇〇を買ってきてくれるかな~」とか

「卵を茹でておいてくれるかな~」、

そして「母さんが下拵えしておいてくれるから早く出来上がるよ」

私が夕食の支度をするようになってからは使用した食器を洗わなければ と言ってくれたが どういうものかよく割ったり欠けたりで手を血だらけにしながら洗っていた。

「痛くないの!?」びっくりして聞いたら

「痛いよ」

ヤバいと思って食洗器を購入した。Bきちも協力して

「新型コロナって危険なウィルスが流行しているから、熱い温度で洗ったり乾燥させて殺菌・消毒するから ばーちゃんは汚れを軽く落としておいて」

毎日のことなので電気料金を心配した母だったが深夜電力を利用するから大丈夫と伝え、朝 洗い上がって乾いている食器を見て驚く母に

「かーさんが濯いでおいてくれるから こんなにピカピカになったよ」

食器洗いでケガをすることがなくなり 食後の会話を増やすことができた。電力はBきちの会社の契約だったので支払いはBきちだった。

 

妹2号が生まれて間もなくの頃 祖父の仏壇を誂えたとき、父方の親戚が本家からも来た。その時は意味が分からなかったが子供心に知らない親戚が大勢集まり楽しかった。「仏壇分け」とやらで位牌を持ってきた宗派だったのだろう。僧侶の読経中も従妹達とこそこそ話したり、知らなかった大人に親しく話しかけられたり、いまだに忘れられない楽しい思い出だった。その後 父は友人が急遽実家の御寺を継ぐことになり檀家にして貰い、本家にヒンシュクを買ったため

「うるさ方がいなくなったらその宗派の体裁を整える」

その前に他界し、私の代になりやっと(!)整えることができた。

 

父が他界して母は新しい仏壇を誂えた。あまり見たことがない「キンキンキラキラではない仏壇」だが母のこだわりが詰まっていたのを感じている。私も大人になり「仏壇を誂えることの重大さ」を理解しつつ、御香典のお釣りが思いがけない多額とは言え母が女手一つで誂えたコトで、母は「御供養」はもちろん(と思いたい)だけど 自分が気に入って誂えた仏壇 を義弟とは言え他人に渡すことを良しと思わなかったコトが解った。私が守るよって言ったら

「あなた先に死ぬでしょ!」(◎_◎;) 

Bきちが「そしたら俺が守るから」妙に安心された<`ヘ´>

叔父のところにもしものことが有り仏壇を誂えたとき 祖母と叔父(父の次弟)の供養を代わっていただけると、叔父・義叔母・従弟と話はついてる。

 

母が他界し 現在わたしが守って(?)いるが さすが、お手入れが楽( *´艸`) 父の葬儀資料一式箱の中から出てきた領収書にビックリしたがカタログさえも有り かなりの値引きをしていただいていた。

 

くそばばあ!と叫びたくなることも多々有ったけど「ありがとう、御母様<m(__)m>」