前回のブログに書いた「泣いた赤鬼」。私も、読んだ記憶はあったけど


細かい処、特に肝心なラストを忘れてしまっていた。


さださんの「もう愛の唄なんて詠えない」というエッセイの中に紹介されていた。


さださん自身「物語のあらすじだけを紹介するのはバカげているが」と断り書きをされているが


その文章ごと更に紹介する私はもっとバカげているかも知れない。


さださんと、「泣いた赤鬼」の作者・濱田廣介さんの意図を、なるべく損なわないように書いてみたい。




この赤鬼、人間と仲良くしたい優しい鬼だ。家の戸口に


「優しい鬼の家です。お茶とお菓子を用意していますので、どうか遊びに来てください」


と書いておく。が、誰も信用しない。


「私は優しいですよ」と言われても、余計に疑うのが人間というもの。



赤鬼は、友達の青鬼に相談する。青鬼は


「僕が人間をいじめにいくから、君は後から来て、僕をやっつければいい。それできっと


人間に信頼されるよ」と言う。



実行の日。人間の前で青鬼は、わざと弱く殴ろうとする赤鬼の耳元で


「もっと本気でやらなきゃダメだ!」と言う。仕方なく、赤鬼は


心の中で青鬼に謝りながらポカポカ殴る。


こうして、人間と仲良くなれた赤鬼は、ある日、ふと、友達の青鬼に会いたくなる。



青鬼の家はカラッポになっていた。そこには、赤鬼にあてた置手紙。



やっつけたはずの青鬼と仲良くしている所を人間に見られたら、「やっぱり!」と


また人間に疑われてしまう。だから、僕はずっとずっと遠いところへ行きます、と。


人間と仲良くなれて良かったね、と。最後に


「イツマデモ キミノ トモダチ アオオニ」


赤鬼は、青鬼の優しさ(愛情だよね)に触れて、号泣する。


これが、「泣いた赤鬼」。




書いている今も、涙がわいてくる。さださんも、いつも泣いてしまうという。


以下、引用させていただきます。二重かぎカッコの中が、さだまさしさんの文章です。



『その理由は「情」だ。なさけに溢れた話だからだ。


次に「義」だ。「自分が考える、正しい行いをしよう」という誠意に溢れているからだ。


最後は「感謝」だ。赤鬼の涙は、青鬼への感謝と、


これほどまでに自分を思ってくれる友達を失ってしまった後悔の涙なのだ』


『青鬼は、決して赤鬼に「自分がしてやった」などという高慢な恩を着せることもなく


最後の最後まで赤鬼の立場に立って物事を考える。


さて、相手のために本当に何かをするということは、


ここまで考えて行動することではないのでしょうか、と濱田廣介が問いかけてくる。


そしてこう聞いてくるのだ。「これでも青鬼を偽善者と言いますか?」と』




そして、さださんは『今、日本に一番欠けているものが、この「情」だ』という。


これに関しては、私も少し書いてみたいので、後にとっておく。


『そして、鬼が悪だと誰が決めたの?と濱田廣介がまた僕に聞いてくる。


そうとも。余程今時の人間の方が「鬼」より悪い』




「鬼」ってなんだろう。「悪」ってなんだろう。・・・「人間」って、なんだろう・・・。


濱田廣介さん、童話作家として名高い方で、私の実家にも確か


「ひろすけどうわ」っていう本があった。


いい童話っていうのは、大人になってからも読めるといいますが、


今度この本、探してみようと思う。


私、「あおいとり」だって、大人になってからやっと意味がわかったのだもの。