前編で作った銅版レリーフは、完成した後に無事、広島まで届けた。
が、思い悩むタイプの私は、その後 何年も気にし続けた。

「あの時、わざわざ広島に英語を持ち込んだのは私です・・・」

夏が来るたび、高校野球を見て8月6日に黙祷をするたびに

「私は嫌だって、言えなかった・・・」。

この思いに決着をつけてくれたのは、実は歌手のさだまさしさんである。
正確には、彼の叔母さんの言葉である。
さだまさしさんの本「絶対温度」に、この叔母さんのエピソードが載っている。

彼女は、長崎の原爆をその目でみた生き証人であった。
後に紹介する予定のさださんの歌「広島の空」の中に出てくる方だが
後々まで、長く原爆症に苦しんだ末に亡くなった。

彼女に「原爆を、アメリカを、憎んでないと?」と質問したさださんに
「もう恨んでいない」と言ったそうだ。

「人間は、相手が棒を持つともっと長い棒を持ちたくなる。
鉄砲を持つと、こちらは機関銃。原爆は、そうやってできた武器だ。
だから、私はむしろ、自分の中のそういう悪魔が怖い」と。

涙が出てきた。

ああ、そういう事なんだ。ヒロシマは、ナガサキは、
英語がどうの、鬼畜米英がどうの、という所には、もはやいないのだ、と。

このブログを書くにあたって、ウィキペディアで「広島平和公園」を検索してみた。
面白い文章が、たくさん載っていた。

広島の「原爆死没者慰霊碑」には
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。

学校の平和学習でも散々教えられたが、この「繰返しませぬ」のは誰だという議論があったらしい。
曰く「原爆を投下したのはアメリカであるから、繰返させませんから、とするべきだ」と。


はい、昔の私も、同じような頭でいたという事ですね。


当時の市長さんの言葉が、こちら。
「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、
こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」
主語は、人類全体なのだそうです。誰がやった、やられた、ではなく。

そして、はい、こちら。

「この碑文の意図するところは、日本・アメリカといった特定の国の枠を超えて
すべての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである。」
これが、公式見解なんだそうです。
なんだ、もっと何年も前に、この文章を読みたかったぜぃ。

ウィキには、とっても長い文章がたくさん載っていますが、もし良ければ、読んでみて下さい。
・・・え~っと、リンク貼れなくてごめんなさい汗

長い昔話でした。こちらがさだまさしさんの歌「広島の空」です。






8月6日に、たくさんの音楽イベントが行われると思いますが、
さださんといえば「ヒロシマの日にナガサキで歌う」というイベント。

「どうして長崎では、平和の音楽祭がないんだろう」と故郷のお友達に言ったら
「おいが せんけんたい」と言われたそうな。
ネイティブ・長崎の方、訳としては「お前がしないからだ」でよろしいでしょうか?(笑)

もう今は やっていらっしゃいませんが、そのイベントの象徴がこの歌なんでしょう。

あのトラウマを克服した私は、一度は8月6日に広島に行ってみたいと思っている。
もう今となっては、なかなか難しいと思うが、
いつかは行ってみたい。そして、8月9日のナガサキも。

めっちゃ長文になってまった。すいませ~~~んヤバ