陽射しが暑いこの時期になると、いつも思い出すエピソードがある。
どこか他のサイトにも書いた気がするので、聞いた事がある人はごめんなさい。

おばちゃんの長話になりそうです・・・。


中学校の修学旅行って、2年生で行くのか3年生で行くのか・・・
ともかく、15~16年前の話だ。


私の母校の中学校は、修学旅行で広島に行く。
今はどうだか知らないが、当時は当たり前のように広島の平和公園に行き、
班ごとに語り部さんの話を聞き、
夕食後にも全員が集まって語り部さんを迎えて話を聞いた。


その平和公園に、「原爆の子の像」というのがある。
折鶴の少女、佐々木貞子さんをモデルにして作られた像で
折鶴を頭上に捧げ持つ、少女の姿の像である。


毎年その像の前に、生徒がみんなで折った千羽鶴を持っていくのが恒例で
修学旅行生を中心に、有志からの鶴をまとめて先生が持っていく。
(余談だが、この千羽鶴たちを始め、平和公園は何かと反感をかうらしい。
私の兄の年は、彼らが修学旅行に行った直後、像の前で鶴が燃えてしまった)


私の学年は、学年主任の先生が美術の先生であり、「原爆の子の像の前に、
銅版レリーフを作って一緒に持って行こう」と提案された。


まぁ、なにかと面倒な事は嫌いなお年頃である。デザインをかってでる者がおらず
なにを血迷ったか私に、その役が回ってきた。


当時、「広島に生まれたかった」などとノートの片隅に落書きするような
拗ねた中学生だった私は、地球を折鶴で囲むようなデザイン画を描いた。


先生がご覧になって、「この下に何かメッセージを入れよう」とおっしゃり、
猫も杓子も英語を使いたい中学生、
「PEACEにしよう」とあっさり決まる。


ちょっと待てよ。


製作者としてひっかかった。


日本と戦争してたのは誰だよ。広島に原爆を落としたのは誰だよ。

英語・・・使うか!?


でも。先生もあっさりと「いいじゃないか」とおっしゃったので、
私は心の中で「申し訳ない」と思いながら、「PEACE」と書き込んだ。



ちなみにこの先生は、誰よりも熱心に語り部さんに質問していた。
ヒロシマに無理解な先生ではなかったと思う。
小さい頃に怪我をしたとかで、指先の関節が完全には伸びきらない手をしていらした。
辛い思いをされてきたのだろう。差別には ことさらに厳しい考えをもっていらっしゃった。

・・・思いのほか、長くなった。後編に続く。