こんにちは。
夜中にふと思ったので書きます。
「食えない若手行政書士が多い」ってことを
前提に行政書士会のあらゆる議論がなされることが多いですが、
そもそもその前提問題が正しいのか、急に疑問に思えてきました。
僕の周りには、
どちらかというと「食えている若手行政書士」の方が
多い気すらするからです。
もちろん、開業初日・1年目からバリバリという人は少なくて、
皆それぞれ苦労はしています。
ですが、僕が開業丸4年になりますが、その後に開業して
さーっと追い抜いていった方もいますし、
バリバリ稼いでいる人、奥さんや子どもを養っている人、
少なくとも最低限食えている若手はたくさんいます。
これは、いろいろと努力したり・営業したり・どこかの事務所に
寄生したり、なんらかの工夫をしていることが前提ですが。
でも、そういう人が食いたいので、工夫して、
食えるようになったのは事実で。
もうひとつ、食えてないけど、さほど困っていない若手も
たくさんいると思います。
会社勤め・家族の収入・その他、何かしらの収入があり、
そもそも「行政書士で食え」なくても大丈夫な人。も多い気がします。
そう考えると、
「食えない若手行政書士」を救う的な問題提起が
そもそも切実な問題なのか疑問に思えます。
僕も長らく苦労してきましたが、
自営業の身ですから、そこまで多くを会などに
求めるのも変だとも思っています。
若手の廃業が多いなどとも言われますが、
毎月発行される会報誌で、
100人はいる知り合いの若手行政書士が「廃業者」欄に出ていた
記憶はありません。
僕が知っている若手=積極的に活動している人が多いので、
そんなことにはならないし、なりそうでも粘り強く頑張っていて、
会に「救ってくれ」という発言をほとんど聞いたことがありません。
何を持って若手というかというのもありますが、
むしろ食えなさに困っているのは「若手」ではないのでは?
という疑問も。
会の活動に自ら群がって交通費だとかで喜ぶのは
総じて「若手」じゃないような気がしますし。
なので、表題のような問題提起を前提として、
いろんな議論がなされることにあんまり意味がないような気が
ちょっとしてきました。
「食えない若手行政書士」を大義名分として
いろいろと会がゴチャゴチャしたりすることが多い気がしますが、
「人権だ」「愛国心」だの名のもとに政治や国がゴタゴタしてしまうのに
似たものを感じてしまう土曜日の夜でした。