こんばんは。
夜の事務所は周りがバタバタしてないので落ち着きます。
今日は、公証役場とやりとりしたり、お客様と電話でやりとりしたり、
それから当たり前の習慣のようにポスティングしたり。
これが普通の生活になりつつありますが、1年前の今頃は
まだ行政書士として登録もしていませんでした。
(登録の申請を出して、結果待ちの時期でした)
今やらせていただいている業務も責任重大なものばかりで
神経も使いますが、やればやるほど自分に向いてる仕事だなあと感じています。
なので、この仕事に出会い、開業してよかったなと思います。
というわけで、私にとって開業を決めた日というのが重要で、
ちょうど去年の6月のある土曜日でした。
5月に司法試験に落ちました。
以前から、その場合は、行政書士になると決めていたはずなのに
踏み切れない日々でした。
選択肢として、他に「普通に就職する」「法律系の事務所に勤める」「他の資格をとる」というのがありましたが、どれも踏み切れず超悶々とした日々を過ごしていました。
行政書士として登録することを躊躇してたのは、たぶん資金(事務所の確保が困難・登録にもお金がかかるなど)とか、実務経験とか
がないということの不安が主な理由だったと思います。
仕事内容自体は、本を読んだりして、そこそこの魅力は感じていたはずですので。
そんな6月のある土曜日の朝。
「筆子その愛」という映画を見る機会があり、中野の劇場で見てきました。
内容は、明治時代からその後の戦争による混乱時にかけて障害児の教育に
力を注いだ女性(常盤貴子さんが演じていました)の物語でした。
夫とともに、お金もない中、障害児教育に一生をささげる話です。
この女性は、津田梅子などど同友で、お金持ちの出身。
だから、もっと安定した道を選択することもできたのでしょうが、自分が産んだ子が
障害児だったことなどもあり、数多くの困難な道を乗り越えながら障害児教育に
尽力していきます。(話はやや不正確かもしてしれません)
この映画を見た帰り道。
陽気のいい、ぽかぽかしたいい天気の日でした。
遊びに出歩く人たちの横を、非常に情けない気持ちで、下向いて、悶々とし、
自分にイライラしながら帰っていったのを覚えています。
今以上に、障害者への偏見や差別が激しかったと思われる明治という時代に
困難に立ち向かって頑張ってた人達がいるのに、自分は仕事もしない、元気よく
遊びに行くわけでもない、一体何をしてるのだろうと思いました。
また、この映画を作ってる方も、世の中によいことを伝えたい一心で私財をなげうって映画に尽力を注いでる方でした。この映画には、実際に障害児を多く起用したりもしていました。
家に帰ってからも悶々とした気持ちに変わりはありませんでした。
どんな条件の中でも頑張ってる人がいるのに、自分も言いわけ並べてびびってる
場合じゃないと思うようになりました。でもまだ昼間の時点では、決断はできていませんでした。
で、夜。NHKの若者向けのファッションなどを紹介する番組を、相変わらず悶々とした気持ちで見ていました。
20代の男性で、ファッションデザイナーか何かでメシを食べて行こうという人が紹介されていました。彼は、一人暮らしのアパートで、ミシンを使い洋服を作ります。で、狭い部屋に所狭しと服を掛けてあるので、もはやミシンを使う時も邪魔なほどです。
で、その作った服をネットに写真を載せて売るということをしていました。
しかし、彼の部屋には写真をとれるようなとこはありませんし、写真のスタジオを借りたりする資金もありません。
そこで、彼はどうしていたか。
デパートのトイレの洗面台付近で(鏡に光が反射してきれいにとれるようです)、自分の作った服を着てポーズをとりながら自分でシャッターを切るのです。
トイレの利用者にしばしば不審に思われながら。
ファッションにこだわる人のイメージは、かっこをつけるということ(偏見に満ちたイメージではありますが)
なのに、彼は変なプライドを捨てトイレで撮影したり、狭い部屋でミシンを動かしたり、ただのかっこつけとは、ほど遠い立場で、自分の夢のため努力していたのでした。
それを見ていて、もう完全に迷いは消えました。
その日の二つの出来事に大いに刺激を受けました。
これで開業しないなら「ただのチキンだ」と思いました。
もう資金とか、実務経験とかゴチャゴチャ言わず、まずはスタートしてみようという気持ちになったのだと思います。
まずは既成事実を作るため、次の瞬間ぐらいに、両親に「開業する」と宣言した
と思います。そしたら、反対するかと思いきや、応援してくれた記憶があります。
で、2日後の月曜日には、行政書士会に行って書類をもらい、1週間以内に
提出しました。
当時は、行政書士の知り合いすらいなかったので、不安だらけでしたが、
あの日、開業すると決め、すぐさま行動に移したことで自分に向いてるものに
出会えたのですから貴重な日です。
そして、あの日映画の帰りにトボトボ歩いた道は、偶然にも今はサンプラザの事務所へ通う道になっています。
何か不思議な感じですし、悶々とした気分で歩いた道を、1年後には希望を持って歩けるのですから、人間やってみるものだとあらためて思います。
神経すり減らして、荷が思い日もありますが、こう考えるとほんとに開業を決めて
踏み出してよかったです。
行政書士として仕事をできることに感謝してこれからも頑張りたいです。
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