死産、流産を乗り越えて!君に逢えたキセキ。。。

死産、流産を乗り越えて!君に逢えたキセキ。。。

死産2回、流産3回経験、また不妊、不育でもあります。
私のブログをよんでこんな出産もあるんだ。無事に産まれてくる事は奇跡であり、ありがたいことなんだと思ってくれると嬉しいです。
2012年3月元気な男の子を出産しました。
2016年5月元気な次男出産しました。

私は不妊症であり不育症、子宮破裂、死産2回、流産3回…。


全て数%の確立の方に入ってしまって抜け出せない…。


でも、今、自分の体験していることはとても辛く苦しいことだけど、


もしかしたら数%の貴重な体験をしているのかも…。


だったら…この貴重な体験を自分の中に閉じ込めていてはいけない。


私が書き残すことによって少しでも救われる人がいるかもしれない…。


私がそうだったように。


辛い思いしている方が前向きになれますように…。


どうか悲しい妊娠、出産がなくなりますように…。


小さな命が犠牲になりませんように…。


死産で産まれた娘の証 ぜひ読んでいただけたらと思います

Amebaでブログを始めよう!
この記事は2010年11月二人目天使さよならまでの経緯で、当時公開を迷ったまま保存していた記事です。
何だか中途半端な気もしますがこれで最後になると思います。

読んでいただきありがとうございました。





次の診察までの一週間また検索の日々でした。

そして『胎児水頭症』という病気が当てはまるんじゃないかと調べて行くと

『水頭症と診断されても赤ちゃんの頭は頭蓋骨が余裕を持って形成されている為経過観察していける、出生後に治療で大きく成長できる、また初期の判断は誤診の場合もある』

という記事を見つけ希望が持てました。
この子は生きて産まれて一緒に成長していくことができるんだと信じました。

そして指定された大学病院の診察日
産婦人科外来で待っているのが辛かった為、呼び出し掲示板をちょこちょこ確認しながら別の場所で待っていましたがいつの間にか呼ばれていたようで受け付けに行ったら外来の診察室ではなく病棟の方へ案内されました。

胎児エコーの一番得意とする先生が診てくれるようで…、しかし、緊急帝王切開が入り私達は病棟で待たされることになりました。

赤ちゃん、産前産後の妊婦さんがたくさん行き交う場所でこの時間はとても長く辛い時間でした。

そしてやっと呼ばれエコーを受けました。
前回の診察でだいたいの様子は伝わっていたようでその確認のような感じで細かくエコーをしてもらいました。

私はきっと、羊水検査を進められるんだろうなと、でもこの子は産むと決めてるから受けないと言ってもいいかなと考えていました。

そしてエコーが終わり、先生から出た言葉は

『この子は産ませてあげることができません』
でした。

私は言葉を失い、先生の説明をやっと聞く感じでした。

私も旦那ちゃんも受け入れられずに、中絶ではなく産むことはできないか、赤ちゃんが生きてるのに処置はしたくない。
間違いなんじゃないかと医師に問いかけました。

医師の説明では
お腹の赤ちゃんは全前脳胞症という病気を持ってること。
この病気は治療法がないこと。
13トリソミーの可能性が高い。
脳だけでなく顔、心臓、腎臓などほとんどの臓器が奇形だったり異常を持ってること。

おそらく臨月前にお腹で亡くなってしまうこと。
髄液が頭にたまりこのままだと頭が大きくなりすぎて帝王切開でも大変な手術になってしまう。
子宮破裂を経験している私には今の時期に赤ちゃんを出さないと母体が危険になること。
母胎保護法と言うのがあって母体に危険がある妊娠は継続させられないこと。

もう、私は頭がパンパンで医師の言葉が頭にあまり入ってこなかったんですが、医師が
『次の妊娠の為にも』っていう言葉に思わず
『次はありません』とボソッと答えたと思います。
まだお腹に生きてる赤ちゃんがいるのに。
この子を無事に産みたいのに。
そんな気持ちでいっぱいでした。

分娩方法などをチームで話し合うので
また4日後に来院をと指定されました。

長いような短いような辛い4日間
それでもまだ諦め切れずに
『全前脳胞症 13トリソミー』を検索。
辛い結果しか出てこなかったけど、それでもまだ今日の診察で治ってるかも、間違いかも、なんて少しの期待を持ちながら病院へ行くともうエコーはしてもらえず赤ちゃんの人工死産の説明を淡々とされ書類を手渡され入院手続してから帰るようにと。
入院手続きをするように渡された書類には中絶としか書かれていなかったのか受付のおばさんには嫌みっぽいことも言われました。
私だって中絶なんてしたくないよ。
どうして誰も出産として扱ってくれないのか。

出産ではなく人工死産と書かれた書類へのサインはなかなかできず、入院日を迎えてしまい
『ごめんなさい ごめんなさい』
と震える手で処置直前にサインしました。
赤ちゃんの命を終わらせるという書類に…。
ママである私が…。






お腹の子の浮腫(NT)を指摘され、検索しまくった時にどんなに浮腫の厚い子でも14~15週には消失すると知りました。

それを知った私はお腹の子は2.5ミリでギリギリセーフだと思っていたかったこと、また旦那ちゃんが骨折、入院で忙しかったこともあり大学病院の受診を延ばし延ばしにしました。

結局、前回指定されていた2週間後の受診予定を4週間後の13週6日に受診しました。

このときはもうどんな子でも産むと決心が付いていた為、羊水検査も受ける必要もないし浮腫があったことはあえて言わないようにしようと決めていました。

きっともう浮腫も消えていて普通に赤ちゃんの計測をして終わるだろうと思ってました。



診察室に呼ばれ初めてお腹からのエコー。

先生は若いけど産婦人科を任されているおっとりとした女医さんです。

私はきつい言い方をしないこの女医さんの日を毎回選んで受診してました。



エコーが始まりなぜか無言。(あぁ、まだ浮腫残ってたのかなぁ・・・)

先生「赤ちゃん元気に動いているんですけど・・・」

と言ってまた無言でエコーの画面を色んな角度から見ている・・・。

そして

「ちょっと頭に水が溜まっているみたい」
と言ってまたエコー画面を真剣に見ている。

私は

「浮腫じゃないんですか?」
と聞くと

先生は

「浮腫は身体の外側に出るんだけどこの子は頭の中に水が溜まっているみたい」

私、やっぱり…と思い良い症状ではないことは分かっているのに

「それって良くないんですか…」と聞くのがやっと。

先生は

「うん・・・。このままお水が溜まっていくようだとお腹の中でも生きられなくなる場合もある」と・・・。

予想外の答えに驚いた。

(お腹の中でも生きられないってどういうこと?それじゃあお腹の外で生きられないことは確実なの?)

って思ったけど今、一人で真実を聞くのが怖くて聞けなかった。

すぐに先生は

「まだ13~14週じゃエコーの映り具合でこのように映ってしまう場合もあるからまた来週来れるかな?来週また診て同じようだったら染色体の異常も疑って検査も考えなければならないから」と・・・。
言葉を選んで優しく行ってくれた。
私はただ「はい」と言うしかなかった。



きっとエコーの映り具合が悪かったんだ、この子は絶対に病気じゃない!
あんなに元気に動いているんだもん…
生きて生まれてくる!

…と思いながらも同じエコーで何人も妊婦さんを見ている大学病院。
やっぱり病気があることは間違いではないんだろうなと思う自分もいました。

そして次までの一週間また検索の日々でした。

旦那ちゃんのとこにお弁当持ってお見舞い行くことはそれからも続けてましたが赤ちゃんの話はメールだけにしました。
まだはっきり決まった訳じゃない…
まだ泣いちゃいけない…
いつもの時間、悲しくなりたくなかった。
いつも通りお腹の赤ちゃんと3人で笑顔でいたかったから。




この記事は2010年11月に死産となった二人目天使の当時、公開を迷ったままで保存してあった記事です。
かなたがお腹の中で生きた証として公開させて下さい。





不育症外来 5週4日 胎のう確認 異常なし

6週2日 心拍確認 異常なし

大学病院 7週6日初受診 異常なし

不育症外来 8週4日 「赤ちゃんは元気だね」

って言ったあと先生が無言で頭の部分を見ていたのが気になりましたが特に何も言われず診察は終わりました。

その後、

大学病院 9週6日 異常なし

不育症外来 11週2日 
赤ちゃんの心拍と大きさを測り「元気だね」と言われましたが、また先生が無言で何か計っていてこの時、浮腫だと察しました。

11週から13週の間に赤ちゃんの首に浮腫があると染色体異常や心疾患などの病気の子が生まれる確立が高くなる(頸部浮腫=NT)


やはり診察の最後に浮腫があることを指摘されました。

この時かな君の浮腫は2.5ミリで3ミリ以上になるとダウン症(21トリソミー)等の染色体異常の可能性の子が生まれる確率が高くなるらしく(病院によって基準値が違ったり、浮腫があっても特に問題にしない病院もある)先生は

「この時期、異常がなくてもこのくらいの浮腫が見える場合結構あるからね。基準値内だけど一応、大学病院受診した時に浮腫みがあったこと伝えて染色体の検査を受けるか相談して」

と言われ診察が終わりました。



今回はきっと順調、10週を越えたからやっと安心できるとばかり思っていたのでショックとまたか…という気持ちで待合室に戻った私は旦那ちゃんにメールで伝えました。

そして会計待ちの間も新幹線の中でもずっと浮腫について検索してました。

家に帰ってもPCで検索し、浮腫6ミリある子でも異常なく生まれてきてる例があること、染色体異常などの確率が上がるけどそれでも浮腫だけではそんなに高い確率ではないことが分かりこの子は2.5ミリだし絶対大丈夫だと信じることにしました。

それに不育症つながりからダウン症の子をもった方のブログを以前から拝見していたこともあり、少しくらい障害があってもダウン症でも私の中では初めから問題ではなかったです。

それでも実際、浮腫を指摘されその確立があがり、どんな子でも産んで育てると決めていても障害をもった子の子育ては思っている以上に大変なんだろうなと思い、障害をもった子の子育てをしている方のブログをたくさん拝見しました。みんな苦労しながらも生き生きと子育てをしてました。

中には妊娠8ヶ月で胎児の異常を指摘され
「中絶します」と即答した方。

でも中絶できる時期はとっくに過ぎていてダウン症の子を出産なさり、今では

「この子を産んで本当に良かった」とお子さんの成長をつづってます。

もうひとつ気になったことは障害をもって生まれた本人はどうだろうかということ。

障害を持って生まれたことにより苦労して
「生まれなきゃ良かった」って思うんじゃないかと・・・。

こればかりは今確認することができない・・・。

そんな時タイミング良く、テレビで四肢欠損症という障害をもって生まれた20歳の女の子の番組を観ました。

彼女、私達が想像できないような苦労をなさって実際

「死にたい、私なんか生まれてこなきゃ良かった」

って思った時期もあったけど最後のインタビューで

「この身体で生まれたこと今はすごく良かったと思っている」

って笑顔いっぱいで答えていてそれを見て

「やっぱりお腹の子はどんな子でも産む!」

って決心が付きました。

長くなってしまったので続きます。