この記事は2010年11月二人目天使さよならまでの経緯で、当時公開を迷ったまま保存していた記事です。
何だか中途半端な気もしますがこれで最後になると思います。
読んでいただきありがとうございました。
そして『胎児水頭症』という病気が当てはまるんじゃないかと調べて行くと
『水頭症と診断されても赤ちゃんの頭は頭蓋骨が余裕を持って形成されている為経過観察していける、出生後に治療で大きく成長できる、また初期の判断は誤診の場合もある』
という記事を見つけ希望が持てました。
この子は生きて産まれて一緒に成長していくことができるんだと信じました。
そして指定された大学病院の診察日
この子は生きて産まれて一緒に成長していくことができるんだと信じました。
そして指定された大学病院の診察日
産婦人科外来で待っているのが辛かった為、呼び出し掲示板をちょこちょこ確認しながら別の場所で待っていましたがいつの間にか呼ばれていたようで受け付けに行ったら外来の診察室ではなく病棟の方へ案内されました。
胎児エコーの一番得意とする先生が診てくれるようで…、しかし、緊急帝王切開が入り私達は病棟で待たされることになりました。
赤ちゃん、産前産後の妊婦さんがたくさん行き交う場所でこの時間はとても長く辛い時間でした。
そしてやっと呼ばれエコーを受けました。
前回の診察でだいたいの様子は伝わっていたようでその確認のような感じで細かくエコーをしてもらいました。
私はきっと、羊水検査を進められるんだろうなと、でもこの子は産むと決めてるから受けないと言ってもいいかなと考えていました。
そしてエコーが終わり、先生から出た言葉は
『この子は産ませてあげることができません』
でした。
私は言葉を失い、先生の説明をやっと聞く感じでした。
私も旦那ちゃんも受け入れられずに、中絶ではなく産むことはできないか、赤ちゃんが生きてるのに処置はしたくない。
間違いなんじゃないかと医師に問いかけました。
医師の説明では
お腹の赤ちゃんは全前脳胞症という病気を持ってること。
この病気は治療法がないこと。
13トリソミーの可能性が高い。
脳だけでなく顔、心臓、腎臓などほとんどの臓器が奇形だったり異常を持ってること。
おそらく臨月前にお腹で亡くなってしまうこと。
髄液が頭にたまりこのままだと頭が大きくなりすぎて帝王切開でも大変な手術になってしまう。
子宮破裂を経験している私には今の時期に赤ちゃんを出さないと母体が危険になること。
母胎保護法と言うのがあって母体に危険がある妊娠は継続させられないこと。
もう、私は頭がパンパンで医師の言葉が頭にあまり入ってこなかったんですが、医師が
『次の妊娠の為にも』っていう言葉に思わず
『次はありません』とボソッと答えたと思います。
まだお腹に生きてる赤ちゃんがいるのに。
この子を無事に産みたいのに。
そんな気持ちでいっぱいでした。
分娩方法などをチームで話し合うので
また4日後に来院をと指定されました。
長いような短いような辛い4日間
それでもまだ諦め切れずに
『全前脳胞症 13トリソミー』を検索。
辛い結果しか出てこなかったけど、それでもまだ今日の診察で治ってるかも、間違いかも、なんて少しの期待を持ちながら病院へ行くともうエコーはしてもらえず赤ちゃんの人工死産の説明を淡々とされ書類を手渡され入院手続してから帰るようにと。
入院手続きをするように渡された書類には中絶としか書かれていなかったのか受付のおばさんには嫌みっぽいことも言われました。
私だって中絶なんてしたくないよ。
どうして誰も出産として扱ってくれないのか。
出産ではなく人工死産と書かれた書類へのサインはなかなかできず、入院日を迎えてしまい
『ごめんなさい ごめんなさい』
と震える手で処置直前にサインしました。
赤ちゃんの命を終わらせるという書類に…。
ママである私が…。