これから言います、と言っておきながら


わたしはすぐには行動できないでいた。


頭の中で色々考える。

今度こそ言おう。

でも・・・きっと縁を切られるんだろうな。

絶対泣くだろうな。

泣かれるの・・・   やだな・・・


どうしよう・・・




悩んでいるうちに

その翌日くらいだったと思う。

母から電話があったのは。


本部責任者さんが母に言ったんだろう。

迅速な対応。

会社だったらほめられるところ(笑)


もちろん 会って話したいと言う。


でも、たぶんこの段階では母は

またわたしのいつもの反乱の、

ちょっとひどいのくらいに思っていたんじゃないかと思う。




そして母と会う日。



わたしの家に母は来た。


わたしと母は 正座で向き合う。


母は まだ誤解していた。


「そんなに○○さんの反対は厳しいの?

こんなときこそ 祈っていかないといけないよ」

「あんたが祈っていくことが 家族の幸せになるんだから」




違う…




のひと言を言うのに いったいどれくらいの時間がかかっただろう。


今思えば

なんでそんなに言い出せなかったのかと思うが

たぶんとにかく

母が猛烈に悲しみ、怒ることが分かっていたから

それが 怖かったんだろう。





「やりたくないの。」


そう言っても 母は

やっぱり愚痴くらいに思っている様子だった。


わたしが 本当の意味で 信心を離れる、なんて

考えたこともないのだ。 この人は。


母はお決まり的な説得を始める。

「私だってそりゃあ 活動が嫌なときはあるよ、でも・・・」


わたしはもう 最後までは聞かなかった。

なぜなら こういった会話は 何度となく繰り返していて

そのたびに、

自分を奮い立たせて挑戦し続けてきたのだから。


「もう、やりたくないの!

この活動がしたくない、とかそうゆうのじゃなくて

学会活動全部したくないの!!」


涙が出そうになった。


「なに言ってんの?あんた・・・」

わたしの本気が少しは伝わったのか

母の表情がみるみる変わる。


「○○ちゃん(娘の名前)のことも

○○さん(ダンナさんの名前)にばれたからじゃないよ。

わたしの意志だよ。」


「・・・」


母が呆然としているのがわかる。


わたしはいわゆる思春期のころ

よく母を困らせて泣かせたが

あのとき よく 胸がチクチクした



あのときと同じ 気持ちなった・・・